FC2ブログ

マゾヒズムに花束を!

恥ずかしくて、ためになる情報発信 Female Domination & BDSM

ひざまずいて足をお舐め 


 言わずと知れた山田詠美の小説。

 人には言えない、僕の愛読書の一冊。

 発表当時(1988年)は、新鮮にしてショッキングな題名に響いたものだった。

 それまで、密室の中だけで囁かれていたであろうこの台詞。

 今どきのSMプレイではもう色あせてしまい、コミカルに聞こえてしまうのかもしれない。

 大根芝居でもいいから、気品のある威厳さでもって、このように命令されてみたいと願っているのに。

ひざまずいて足をお舐め


 遥か昔、この本を大学生協で買った。

 同じゼミの女の子から「ひざまずいて足をお舐め」読んだ?と聞かれる。

 Sでもなんでもない普通の女子大生がこのセリフを言う。
 
 これはモノスゴイことだ。

 革命的に凄すぎることだった。

tumblr_ogn1q5R3CI1s46rduo1_1280.jpg


 実際にやるかどうかはともかく、「ひざまずいて足を舐める」という行為自体は、わざわざSMクラブにまで逝かなくても、普通にどこでも出来るだろう。

 
↑ 出来ないって (。。)☆\バキ


 鞭や緊縛ほど、反社会的とは言えない。

tumblr_nhu6peZ3VX1twd7ilo1_1280.jpg

 昨今の若い女子は、合コンや歓迎会などで、気軽にこの台詞を使うし、半分ジョークで実演する男子もいる。

 しかし、本家本元であったハズの、SMクラブの女王様は、

 そんな歌舞伎みたいな台詞言えるかっちゅう〜の!

 と一笑に付されてしまう。

 これって、あんまりだと思いませんか(>_<)

写楽

 別に足を舐めさせてと言ってるわけではないのです。  ← 言ってるのと同じ

「足をお舐め!」と、この言葉を言って頂きたいだけ。  ← 結局舐めるくせに

 むぎピョンが最近の記事で、「ただただひれ伏して、芸術品のように鑑賞させて頂くだけで幸せなのです」と書いてますが、僕はあえて異議あり!と言いたい。

 女性の足を舐めることに意義があるのです。


tumblr_omafkc4GKk1uec0afo1_1280.jpg

 むぎぴょんはこうも書いている。

「目の前にあるとそっと口づけたい誘惑に駆られますが、奴隷の唾液で穢すのは畏れ多い高貴な存在です」

 異議あり!

practice_objection.jpg


 その高貴な足を舐めることによって、奴隷(下僕?)の汚れた舌が清められるわけで、これは魂の救済なのです。

 全国の女王様にお願い申し上げます。

 まずは、ひと言、「ひざまずいて足をお舐め!」と、ご命令して下さ〜い(>_<)

kneedown_and_prostrate.jpg


 本日もマゾ花に来てくれて、ありがとうございます。

 まぁ、特に言われなくても、自主的にやみくもに、同時多発的に勝手に舐めてお仕置きされてしまいますけど、何か問題ありますでしょうか?

tumblr_inline_o5b0qrnlgl1u31cso_500.gif



【ひざまずいて足をお舐め!ミュージアム】


Oshiokidayo.jpg



どういうワケだか、腕はあまり舐めたくない。
c0222662_923840.gif
もちろん「お舐め!」と言われれば、舐めるけどネ



着衣なら野外でもOK
tumblr_lik9lfqqQr1qh2jk8o1_1280.jpg




やはり、男は全裸が基本だと思う。
tumblr_lgmifuOQF31qe5bzho1_1280.jpg
舐める時には勃起していれば、なおよし(>_<)




ありがちなシチュで「脚に飲み物をたらして舐めさせるの図」
tumblr_lkj1xjVMSs1qcpi61o1_1280.jpg
まぁ、いわゆる一つの「ご褒美系」ですが、何か問題ありますでしょうか?




網タイツの上から舐めるの「アリ」だよね!
tumblr_mumrvr3ou41soexhro1_1280.jpg



裏スジ街道を逝くtumblr_mub8z22J9J1rcg3klo1_1280.jpg
このザラザラ感がたまらない


土踏まずも捨てがたい
土踏まずも捨てがたい



指と指の間も捨てがたい
指と指の間も捨てがたい




幸せそうなM男め
tumblr_ms6krhBMsz1rm35woo1_400.gif



このアングルは最高だと思いませんか?
靴の裏は舐めたくないなあ




女王様とこんなツーショットを撮ってみたいヨ
tumblr_lgevxzfNKj1qe5bzho1_1280.jpg



この構図も素晴らしい!男はピンボケで正解。
tumblr_mb7agtVp2g1rzp8pgo1_500.jpg
女王様のクールな眼差しが萌え〜




靴は舐めたくない
靴は舐めたくない


これならギリギリオッケーです
これならギリギリオッケーです


一応、Femdom Art の世界からも
553HZu6slkrwxz8v8wrdZjAio1_500.jpg




これぞまさしく「跪いて足をお舐め!」の図
tumblr_mj6o81KfAY1s7abjxo1_500.jpg


 普通の男なら誰でも、跪いて足を舐めたいんだよね? 違うの?


tumblr_oho9p9zjsy1ug6umqo4_540.jpg
やっぱ素足がいちばん好き





■ 支配と服従のロマンス  足舐めオジさん逮捕!
卒業 

■ 靴フェチM男





こちらのエントリーにも「ひざまずいて足をお舐め!」画像がたくさんありましたのでご紹介しておきます。

■ 勇気が出そうにない時つぶやきたい言葉
KneelDown_Kiss_01.jpg


KneelDown_Kiss_06.jpg



[ 2017/04/26 19:30 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(5)

伯爵夫人 

伯爵夫人

 失礼ながらもう「終わった人」かな、とも思っていた蓮實重彦

 80歳で今年の三島由紀夫賞を受賞した作品が「伯爵夫人」

 「今さら新人賞かよ!」

 と、受賞記者会見の不機嫌極まりない態度で話題となっていたやつです。

 あれはわざとやった「営業」だと思うのですが、元東大総長にしてはおちゃめな感じがしてあの会見は面白かった。

 蓮實さん、80歳にしては若すぎる!

 実は、この人の文章は学生時代からよく読んでいました。

 彼の小難しい映画評論は、演劇専攻の学生にとって必修科目。小林秀雄の絵画論より難解ではなかったけれど、独特のエクリチュールはわかりにいという思い出が残っています。

 意外にも小説作品はこれが3作品目だそうで、今回初めて読んでみました。

 とても初々しい、平成の現代に書かれた「昭和の近代文学」のような、一流の官能小説という印象を得ました。

 多少SMっぽいテイストも入ってますので。(どうでもいいか、そんなコト)

ルイーズ・ブルックス

 僕よりも一回りか二回り上の世代の高齢者にはルルという呼び名が懐かしいルイーズ・ブルックスという、往年のハリウッド女優が(名前だけ)頻繁に登場します。彼女は蓮實さんの世代にとっては絶対的な崇拝の対称として君臨していたようです。

 表紙がまさにそのイメージなのですが、それよりもこのカバーに使用されている紙質が素晴らしい。

 これはぜひ、書店で手にとって頂きたい! これだけでもう貴族趣味〜♪

 独特の手触りとしなやかさをもつ高級な特殊紙が使用されていて、なんというかフェチ心をくすぐってくれるのです。

 つい撫で撫でしたくなるんだよね(>_<)

 革の鞭を、指先で触っている時のような感触が・・・
   (僕は打たれるのは苦手ですが、鞭そのもののマテリアル感は好きだったりして)

 作品中で唐突に登場し、細かい描写がなされるドラステのココア缶の尼僧といい、蓮實さんのマニアックなこだわりにはクラシックなフェティシズムが感じられます。

カカオの缶


 最近の若い女王様は、ケータイで現代の官能小説をよく読まれているようですが、アナログな紙のぬくもりを感じながらこういう作品にも触れて頂きたいと思います。

 もしかしたら80歳で新人賞を狙っていたのかも?とも思えるような、「よく書けるよな〜」とため息がでるほどのずみずしい文体は、読んでいて本当に恥ずかしくなってくる。

 接続詞を使わずにシームレスにつなげる手法は、若い頃の山田詠美のスタイルを彷彿させてくれます。

 ばふりばふりとまわる回転扉も、河野多恵子のSM小説「回転扉」を連想させてくれました。

 高齢化社会の下流老人に、夢と希望を与えてくれる作品です。

oisakimizikaiz.jpg


 日本の近代文学というのは、乱暴な言い方をしてしまうなら、ほとんどが官能小説だったように思う。

 特に男性作家が書いていたのは恋愛小説と言ってもよく、谷崎の「痴人の愛」は間違いなくそれで、昭和の純文学系作家には、その流れが何らかのかたちで受け継がれている。

 純愛をいかにエロティックに、過激なエロスをさりげなく、婉曲的に表現できるのか。

 つまり、下品なことを上品に描けるかが文豪の腕の見せ所。

 勝手に興奮するのは読者の領域。

 そういう意味で「伯爵夫人」の文中には、これでもかというほど扇情的で露骨なキーワード(熟れたま○コ」や「魔羅」とか)が羅列されていくのですが、不思議と卑猥な感じがしない。

 後半にはついにというかやっぱりというべきか「射精」なる表現のオンパレードで、80歳にしても性的欲望が枯れてないのがなんとなく伝わってくる。

 そうした表現上のスキルが、作品テーマの表現形式を通して示される。

 テーマが官能でもSMでも、性愛やセックスに年齢はあまり関係ないということなのでしょう。

 二十歳の人にはその年齢でしか書けないものがあり、80歳の人にも同じことが言えます。

 これはある意味で、カミングアウトを兼ねたファイナルファンタジーなのかもしれない。

 もしかしたら蓮實さん、隠れマゾヒストだったんじゃないか。

 久々に太宰治や川端康成のような、いわゆる「文豪」が若い頃に書いたような純文学作品を読ませてもらった〜という、しっかりとした読み応えを感じました。

tumblr_nqam0c7UQ71sdvbtao1_500-1.gif
旧い映画の話もよく出てくる


某Blogから勝手に拝借した伯爵夫人っぽいイメージ
某Blogから勝手に拝借した伯爵夫人っぽいイメージ



伯爵夫人というと、なぜか鞭を持っているような「偏見」を抱いております。
何か間違ってますしょうか?
伯爵夫人の優雅な休日
伯爵夫人の優雅な休日


こういう画像を紹介するからといって、僕が鞭で打たれたいわけではない(>_<)
こういう画像を紹介するからといって僕が鞭で打たれたいわけではない













[ 2016/07/24 08:06 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(2)

緊縛事故について 

現代緊縛入門

 「ごめんなさい、ごめんなさい」と、その新人女王様は泣きそうになりながら、僕の二の腕をマッサージしていた。

 こんなことになるんだったら、緊縛をお願いするんじゃなかった・・・

 10年ぐらい前、SMクラブのプレイルームで、マヒして動かなくなった左手を見つめながら、僕はぼんやりと心の中でつぶやいていた。

 昔は常識ある人だけしかSMをやらなかったので、こういうことは起こらなかったのだろう。

 仮に非常識な人でも、相当の覚悟でもって、少なくとも慎重に行うという理性があった。

 怪我やトラブルが発生しても、大人の流儀で良識的に処理され、稀に訴訟問題になった話も聞きますが、原則として自己責任であり、多くは表沙汰にはならなかったのだと思う。

 最近は誰もが軽はずみにやろうとするので、トラブルになるリスクが増えているように思う。

 自動車の運転と一緒で、やる人間が増えれば、事故も増えるだろう。

 「緊縛講習受けました〜」などと言って、いい気になっているS女のように、手取り足取りで丁寧に教えてもらった「ユルい」縛り方では危なっかしい。

 例えば、氷室イブさんの技術は、今年亡くなられた縄師の雪村春樹に自らが縛られながら現場で目撃し、肌で感じて「盗む」という次元による、真剣勝負で習得されたものでした。

 まさに伝統芸能の巧みの世界。カルチャー教室で教わるようなおママゴトレベルとは違う。

 十年前の僕も、ママゴト程度に甘く考えていた。

 さらに言うなら、僕は非常識だった(今もだが)

 ガチガチに縛られて、女王様に虐められてみたい。漠然とそれぐらの感じだった。

 身勝手な欲望が、常識を吹き飛ばしていた。

 あの時は30分ぐらいマッサージされてやや回復したけれど、マヒはとれず、家に戻ってもドアのノブをしっかりと掴んで回すことができなかった。

 右利きだし、まあいいや、そのうち治るだろうと。

 ところが、深夜になってパソコンのキーボードを打とうとする時に深刻な影響が出て愕然とする。

 翌朝すぐに、かかりつけの病院に行った。

 橈骨神経症。

 初めて聞く病名にびびりながら、長年の付き合いのある主治医に「遊びで縛られてこうなった」と僕は正直に告白した。治りたい一心で羞恥心はどこかに飛んでいた。それぐらい動揺しており、あるいは絶望していたのかもしれない。

 電気治療と2週間ぐらいのリハビリで一応は治ったかに見えたが、明らかに右手とは異なる違和感が少し残っていました。女王様は何かあったら連絡して欲しいと、電話番号を僕に教えてくれていた。

 僕は「たいしたことない。完治した」と伝え、その女王様とはそれっきりとなりました。

 これは自業自得だし、何らかの後遺症が残ったとしても、彼女を恨む気は全くありません。

 もちろん補償を求めようなんて発想すらない。

 ただ、縛られてみたいという願望のファンタジーは、消えていました。

 今でも時々、左手の握力が落ち込み、指先の感覚が少しおかしくなる。

 そういう時、あの時の記憶が鮮明に思い浮かびます。

 動揺したり緊張すると、指先がかゆいような、しびれるような感覚が現れ、手を握ったり開いたりするクセがついてしまった。

 この軽くシビレるような奇妙な感覚が、必死になって僕の腕をマッサージしていた女王様の姿を映し出す。

 SMの女王様として大好きだった彼女のことが気の毒でなりませんでした。

 縛った人間が悪いわけではない。

 やらせたのは僕なのだ。

 彼女は共犯者とは言えるかもしれないが、主犯は僕。

 非常識だった自分への自己嫌悪。

 なかったことにしたい思い出とは、こういうものです。

 それまで緊縛されることにちょっとしたファンタジーや魅力を感じていたのに、この記憶が心のブレーキをかける。日常生活に支障はなく、今はキーボードも問題なく打てます。

 特にどうってコトはないのですが、なんとなく気になる微妙な感覚。

 リセットしたつもりでも記憶から消せないしびれが、切なく僕を苦しめる。

 以前、北川プロの作品にも出演したことのある青山夏樹さんが「現代緊縛入門」という本を最近出版されました。


 内容的に特に新しいものはなく、

 書かれているのは、当たり前なことばかり。

 しかし、コスプレの延長で、気軽に縛りをやってみたりする若者たちが急増する昨今、こういう「常識」をあえてわかりやすく解説する教科書みたいな本も必要なのだろう。

 SMが好きで、これから緊縛をやってみようかなという若い人たち、あるいはすでに体験してオッケーだと思っている人たちには、ためになる本です。

 僕にとってこれまで封印していたツラいエピソードで、あまりためにならないとは思いましたが、この本に敬意を表し、思いきって文章にしてみました。

 縄で縛られるということには、危険がつきもの。

 これは縛る側にも言えます。

 そこをきちんと理解した上で、お互いに納得して、緊縛プレイを楽しまれて頂きたいです。

 SMは愉しいからといって、遊び感覚でやるものではないと思う。

 鞭でも顔面騎乗でも、あらゆるSMプレイには、ある種のリスクが伴うということです。

 たとえ合意の上でも、危険な共犯者になる覚悟がいる。

 あれ以来僕は、初対面の女王様には「すみませんが緊縛NGで」とお願いしています。

 どういうわけだか、僕がいいネ!と思える女王様は緊縛が好きで、得意だったりする。

 また、明らかに必要ないかとも思われる場合でも「セーフワード」は決めさせて頂いてます。

 最近の若い女王様には「そんなの必要ないわよ」という人もいる。

 僕は「うん、そうだね。たぶん使うことはないと思うけど、一応決めておこう」

 このつまらない体験を話すことはなく、今まで誰にも話したことはありません。

 ただ、「セーフ・ワードは○△□○ってことで(^^)」となし崩しに言っておく。

 ちょっとした緊張感を維持するための、おまじないのような気もする。

 セーフ・ワードを使ったことはない。

 過去にちょっとぐらい痛い目にあったから、用心深くなっているわけではありません。

 万が一、何かやらかしてしまうかもしれない、そそっかしい女王様のために、彼女に気まずい、つらい思いをさせたくないがゆえの、ささやかな気配りです。

 まぁ、ソフトなフェチプレイしか依頼していないのに、「バカじゃないのこのマゾ?」と女王様に蔑みの目で見られるのも、なかなか恥ずかしくて、よかったりする(>_<)


 どうでもいいか、そんなコト。




■ 健全なマゾヒズム 現場でイニシャティブを握るサディズム側に、より確かな健全性が求められるという話


■ 緊縛の文化史・日本人の知らない日本美
緊縛の文化史 表紙


■ 男性緊縛美
樹里ふぉとぐらふ



■ 緊縛の芸・氷室イヴ女王様

[ 2016/04/23 20:16 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(9)

SMの女王様に市民権を与えたのは朝霧リエです 

SMに市民権は与えたのは私です
 
 東日本大震災の年に、団鬼六さんは永眠されました(2011年5月6日)

 生前の団氏と初めてお会いした時、基本的人権などないM男を相手に、まともに口をきいてくれるのだろうかと、今思えば、愚かな不安におののきながらお目にかかったのは10年前。

 「最近は俺もマゾかもしれないんだ、よろしく頼む」 と、

 茶目っ気たっぷりにご挨拶して下さったのが忘れられません。

 これがなければ、「春川ナミオ原画展」メッセージを寄稿してもらおうなんて厚かましい考えは生まれなかった。鬼はとても優しい人でした。

在りし日の団鬼六さんと(2006年)
団鬼六さんと


 SMの草創期、団鬼六の作品を読んでいない人でも、

SM = 団  という方程式だけは知っていた。

 しかしほとんどの人は、この方程式の解がわかっていなかった。アップルの「全ての人にコンピュータを」という思想と同じようには、全てのフツーの人がSMという未知なるものを手にしたわけではない。今の若い人にはピンとこないと思うけど「団鬼六」という記号には、iPhone のりんごマークのようなアイコンとしてのド迫力だけが際立っており、そして、Appleとは真逆の不気味なオーラに包まれていたのです。

 団鬼六の自伝「SMに市民権は与えたのは私です」は、僕がSMクラブに逝きまくっていた1990年代に出版されました。一般用語としてのSMは比較的ポピュラーになってはいましたが、中途半端な趣味の世界ではない、というハードルの高さも、70年代〜80年代に団鬼六さんが拡散していた功罪です。SMは鬼のやること。鬼畜の世界だったのです。

 この当時は依然として 男はSで当たり前

 緊縛された女性の羞恥がもてはやされ、M男はグロテスク で存在そのものが否定されていた。

 だから、その相手をする女王様にも市民権はなかった。

 団鬼六作品の映画に主演し「SMの女王」と言われた谷ナオミもM女であり、伊藤晴雨の時代から、この世界は「S男M女」が主流で「S女M男」的なものは疎外されていました。(*参考エントリー:女王様の地位向上の歴史

 しかし、SMに市民権というコピーだけは一人歩きして、一般の素人男性にも「女性を縛ってみたい!」という願望に火がつき、そうした行為が密かに流行しました。縛られたがるM女性はいても、S女性はいなかった。

 あくまでも 男目線 の市民権だったのです。

 女性が男を縛るなどという文化はまだ遠い先の話でした。

緊縛男子
 ラシオラ出身の女王様が昨年出した写真集


 男女雇用機会均等法が1985年に制定され、セクハラという言葉がこの頃から使われるようになりました。SM嬢を主題とする一般文芸作品として、1988年の「トパーズ」(村上龍)、山田詠美の「ひざまずいて足をお舐め」などが出版され、女王様がクローズアップされる時代の雰囲気が少しずつ盛り上がってきます。90年代のインターネットの普及も、SMのサブカルチャー化を促進し、ネットによるSMコミュニティ、コミュニケーション再編が始まろうとしていました。

 折しもSMクラブが百花繚乱のように出現し、風俗産業の最底辺で「M男市場」がようやく活性化しつつはあった。しかし、未成熟で規制のかからない業界の中には、気の弱いマゾヒストを搾取するような放置プレイも横行する。

 ラシオラは、そんな時代に、1990年代の後半に登場しました。ラシオラが革新的だったのは、SMクラブの質的向上を目指し、女王様の意識レベルを高めるような運営をしていたことです。それまでとは全く異なるアプローチで、女王様に市民権を与えるような動きをしていました。(ラシオラのSM 朝霧リエの思想と美学)

ラシオラにはハイ・スペックなミストレスが集まり、高度なセッションが行われていた。
ラシオラ広告_1998年
 元イカ嬢の夕樹七瀬、ピンクリの瀬里奈や、赤星せいら(中野アダマス)など、ラシオラ出身の血統は誉れ高い


「SMに市民権は与えたのは私です」が、今年になって再び文庫版で発売されたばかりです。

 今回、特に注目したいのは、この本の解説文を、ラシオラの元・女王様だった早川舞さんが書いていることです。

「団鬼六」本の解説をSMクラブの元女王様が?

 巨匠・団鬼六作品の解説文を担当するというのは、この世界では輝かしい栄誉。舞さんに白羽の矢が当たったのはとても喜ばしいことだし、心から祝福せずにはいられません。

 ただ、この解説が全くフツーだったのには、やや違和感を抱きました。彼女を起用した出版サイドの思惑に、きちんと応えていないように読めた。「解説文」の解説をここでする必要などないのですが、この人選だからこそあえて、どこかで突出して欲しい。ヒネリと辛口のスパイスを利かせて、団鬼六をアヘアヘ言わせることが出来るのは、元女王様の彼女だけなのだから。

早川舞_106m

 舞さんが女王様デビューした当時、SMの市民権の普及にともない、SM自体の価値観の多様化と細分化が同時多発的に発生していました。女装や同性愛なども含むその周辺の思想や感性に激的な変化のうねりが巻き起こっていた。SMクラブの女王様にも、多様性が認められる過渡期とも重なります。舞さんはひょっとすると、ラシオラ時代には苦労していたのかもしれません。純正S女ではなかったからか、真性M男の期待に応えるべきセッションでの評判があまりよくなかった。ラシオラにはそういうドミナも多かったので、うまくやっていけるんじゃないかなと思っていました。初期はともかくとして、ラシオラにはごくフツーの女性も多く在籍していたし、今もいる。そのこともSMの市民権を象徴しているように思えます。

 早川舞さんは美人だし、知性豊かで人がらも良い。

 朝霧リエのDNAを正統に受け継ぐ、カリスマ女王様として君臨する可能性もありました。

 しかし当時のラシオラのドミナの中では、アイドル系の立ち位置で、実像とのギャップにコンフリクトが発生していたのかもしれない。等身大のアイドルみたいな女王様像を求めるM男も現れ、マゾヒズムの質も変化していた。



 SMがビジネスとしての市民権を得たのであれば、そういう変化にも対応しなければ、マーケティング的に問題やトラブルが発生する。舞さんは自分のSM観と市場原理との落差に悩み、葛藤していたのでしょうか、彼女のシフトは徐々に減り、いつの間にかラシオラのアルバムから消えていました。

 「いつまでもいると思うな女王様」 by 更科青色
 
 舞さんが「SMに市民権はあっても、女王様にはない」と思ったかどうかわかりません。「元」女王様という肩書きを武器に、フツーの世界への道を選んだ。それは賢い選択だったろうし、結果的に成功していると思います。

 もしかしたら、とんがった解説文を書きたい野心があって、それが出来るのに平凡な「解説文」に落とし込んだ。そう考えるならばおそらく、元SMの女王様としてでなく、フツーのライターとしての判断だったのでしょう。知識としては昔ながらの、古き良き時代の趣をかろうじて理解し、なおかつ新世代のSM観も肌で感じていた。

 団鬼六さんの言う「市民権」とは、文芸ジャンルで、SM系コンテンツが新潮社から出版されたり、婦人公論に載ることを意味していた。本当にSMが市民権を得たと言えるためには、フツーの人々がSMをやらなければならない。舞さんはどちらかというと、フツーの女性だったように思う。

 僕らの世代の異端者がこの本を買うのでなく、平成生まれのフツーな人たちが初めて読むのには、この解説でいい。

 今やSMはマニアックな倒錯世界でなく、サブカルチャーの王道をいくコンテンツに成長しました。その是非はともかくとして、未成年を含むほとんど全ての人が、SMというツールを手にすることができます。

 おかたい学問をしている女子大生が、見ず知らずのおじさんに顔面騎乗を無邪気にする時代。

 元女王様が書くからといって無理に突出する必要はなかった。団鬼六作品の解説を書いたという快挙に喜び、勝手に筋違いな期待をしてしまっていたけれど、団鬼六を知らずに初めてこの本を手にするフツーの人たちには、わかりやすいナビゲーションになっている。

 SMのユーザー意識が変わろうとする時代の分岐点で立ち止まり、模索したであろう舞さんらしい筆致は、SMの表現者としての伝統を引き継ぎ、次世代に適確なメッセージを伝えている。

 ほとんど今では失われてしまったかのように僕にも感じる「SMの情趣」への、道しるべとしての役割は果たしています。この解説を読んで、本当に喜んでいるのは、天国の団鬼六さんでしょう。

 彼女の執筆したコラムが、週間新潮や婦人公論に掲載される日もそう遠くないかもしれない。

 早川舞さんには、これをきっかけとして、もっと大きく飛躍して欲しいと願っています。


SMに情趣を_団鬼六




【関連エントリー】

■ 元・女王様ライター早川舞さん

■ 団鬼六氏永眠

蛇と鞭


■ 日本三大M男  早川舞さんのマゾヒスト取材記について


■ 団鬼六の伝記本「赦す人」発売 2012年12月5日付エントリー


■ SMキング/団鬼六責任編集SM雑誌



■ 団鬼六「死んでたまるか」

■ 往きて還らず


■ 春川ナミオの絵について  団鬼六よる春川ナミオのマゾ絵画評!


■ 花と蛇3

■ 団鬼六「SかMか」




[ 2016/03/06 10:00 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(5)

こころが通じる表現 

日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現


 SMセッションの最中に「これはもう無理だな」と思った時に、

 イキナリNGワードを叫んでプレイを中断するよりも、

 「お戯れはそれぐらいで・・・」

 とまずは言ってみます。

 これは大和言葉と言われる、古くからの、こころが通じる和の表現です。

 もうマジで耐えられないぐらいダメだったら、絶叫してしまうかもしれない。

 だけども、普通はそこまで追い込まれることはないでしょう。

 たとえSMクラブなどでも、ある程度のつきあいで信頼関係が構築されていれば、ちょっと加減を越えるところのギリギリまで持ってかれることはあり得ますが、そういう時にこそ、この種の大和言葉が利いてくるタイミングだとも言えるのではないでしょうか。

 別に特別な言葉というわけではありません。

 古くから日本で親しまれてきた和風の表現で、日本人ならではの心に染みる特性があります。

 僕は昔から何気なく、それこそマイ・ボキャブラリーとして使っていましたが、最近は普段の日常会話で使うと逆に浮いてしまいそうなくらい廃れてしまった。

 気がついてみれば、SMのセッションの時、女王様に対してしか言わなくなってしまった。


一目置かれる


 一番よく使うのが、うれしゅうございます、女王様!」 というやつ。

 久しぶりにお会いした女王様には、

 お目どおり叶った喜びにたえず、この上は一意専心奉公の誠を尽くし...、などと言ってみたり。

 今時の若い女の子にはあまりピンとこないかもしれませんが、女王様と呼ばれるぐらいの女性であれば(素人S女性でも)、M男を信服させることのできる器量をお持ちですから、それなりの知性と教養があり、この種の表現には敏感に反応されます。

 もともとSMのセッションには演劇性があるので、文芸的な表現はツボにはまりやすい。

 でも、使い慣れていないと、ものの見事にすべってホントの茶番劇になってしまうので注意が必要ですが・・・

 近年は外来語の普及はもとよりネットの影響もあってか、この種の古き良き言い方が忘れ去られそうな状況の中において、大和言葉が再評価されている気配は嬉しいかぎりです。

 ギスギスしやすい人間関係も、こういう大和言葉をクッションに入れると、和むものです。

 SMプレイという非日常的なステージでも、お互いに緊張してちょっとピリピリとした雰囲気が一瞬柔らかくなるので、僕は意識的に好んで使っています。



yamatoKotoba_book.jpg



さりげなく思いやりが伝わる大和言葉




新井恵理那m

  ■ 胸キュン!(←死語?)




ホイチョイ


[ 2015/07/06 19:16 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(0)

「賢者の愛」山田詠美 

賢者の愛

 今年1月、「谷崎文学と肯定の欲望」などの著作でも知られる作家の河野多恵子さんがお亡くなりになり、今月になってようやくお別れの会が行われました。

 その席で山田詠美が挨拶をしていたのにはやや意外な気がしたのですが、芥川賞などの選考委員も務める傍らで、若手を発掘、後進の指導育成にも熱心だった河野氏と接点があったとしても不思議ではありません。

 山田詠美が河野多恵子や、谷崎潤一郎のマゾヒズム文学を正統的に継承しているかどうかはともかくとして、1988年に発表された「ひざまずいて足をお舐め」は、「SM的なるもの」をモチーフにした文学としては当時最もインパクトがありました。あの時代にはまだ、現代文学でまっとうにSMを、それも女王様ものをダイレクトに扱った作品は希有だったのです。

跪いて足にキス

 
 沼正三のように「男性作家」ではなく、女流作家によるマゾヒズム文学(今風にわかりやすく言うならM男向け文芸作品)という金字塔は、河野多恵子によって打ち建てられたのですが、山田詠美の作品の中には、その流れを受け継ぐものがあったようです。

 在日米軍黒人兵との大胆なセックスを描いた「ベッドタイムアイズ」でデビューしてからちょうど30年。山田詠美もすでに大御所的存在となり、その節目に河野多恵子氏への弔辞を読み上げたのには感慨深いものがありました。

 その執筆動機が「谷崎をギャフン(←もしかして死語?)と言わせてみたかった」という「賢者の愛」は、なるほど確かに「痴人の愛」へのオマージュというよりは、谷崎文学やその愛好者の神経を逆撫でするように挑発的ではある。
 
 例えば河野多恵子の「みいら採り猟奇譚」のように、暗示的なサドマゾヒズムを格調高い手法で描くのでなく、もっと下世話で、ありがちなステージに置き換えた倒錯、つまりわかりやすい変態ライフを現代的に描くことにかけて山田詠美は秀逸でした。

 SMを含めたアブノーマルな性癖や願望は、本人にとっては単純なのに他者にとっては難解。

 これを万人向けにわかりやすく伝えるというのは巧みの職人芸のようなものであり、それを成し遂げた偉大な文豪が谷崎だったのです。

 身も蓋もない言い方になってしまうのを承知であえて言うと、SMっぽい行為や表現というのは、実はけっこう馬鹿げている。

這いつくばって足を舐める
 跪くなんてまどろっこしい。本心では這いつくばって足を舐めたい(>_<) ←ばかげてる!

 しかし、そもそも恋愛自体が馬鹿げているわけだし、愛とは愚かで意味不明なものだとも思うのです。

 谷崎は愛に溺れるおバカな男を、「男子的」な視線で純粋に描いたにすぎないのですが、しかしそれだけでは一般の人を含めた多くの共感を得ることは出来ない。

 僕のような「谷崎系マゾヒスム」を持つマイノリティは、本当は自分が馬鹿ではないと信じているバカな「賢者」とも言えるかもしれません。こういう矛盾した感覚、概念もマゾヒズムです。

 しかも、Femdom(=女性主導)とか言いながら(マゾッホ風の)男が主導するマゾヒズムを信望してもいる。

 「賢者の愛」は、これとはまさに逆向きのベクトルで、女性が主導する、「女子的」なロジックで描かれます。

 従来の保守的なサドマゾヒズムの神経中枢を引き裂くような快楽があるように感じました。

 谷崎のように日本の伝統的(すなわち男が主導権を握る)美意識をベースとした筆致とは明らかに異なります。

 山田詠美については、品格とは無縁のヤンキー娘が俗物的な恋愛を描いてきた、という誤った印象を持っていた僕でしたが、この新作では見直しました。

 というよりも、これまで見くびっていた部分が大きすぎてごめんなさい(>_<)と、しきりに反省したのでした。


「賢者の愛」バーチャル挿し絵
「賢者の愛」挿し絵

 主人公の真由子は、親友に初恋の人を奪われ、子供を妊娠し結婚されてしまった。
 復讐のため、生まれた親友の息子、直巳(ナオミ)を自分好みのマゾに調教していく。








【関連エントリー】

■ ひざまずいて足をお舐め(日本のSM文学)

■ 痴人の愛


■ 人間椅子

■ 家畜人ヤプー

■ 寺山修司と三島由紀夫

■ サタミシュウの主従関係

■ 稲垣足穂

■ 団鬼六「死んでたまるか」

■ 文豪座談会

■ サド裁判

■ 毛皮を着たヴィーナス



[ 2015/03/12 15:06 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(3)


プロフィール

筆者に宿る仮想人格:homer



 自分に素直になりたい!そう願っているひねくれ者なのかもしれません。平凡で小市民的な暮らしを営む一方で、過激な妄想世界を漂う、無意識過剰の仮性マゾ。



さらに詳しく




【連絡先】

メールフォーム

励ましのお便りもどうぞ!





お世話になってます



ピンクの鞭





狂い恋う

ラシオラ

あやつきのブログ

tabooバナー

バロックバナー小















アシッド

花清バナー

ミストレス

パープルムーン

BarBAR

桃太郎バナー

美花バナー

大阪SMクラブ_Fetish_SM

マルチプル

アダルトグッヅビアンカ

テレクラ・ツーショットのイエローキャット

女王様の退屈しのぎ

ゲイMT



ちょいMドットコム

DUGA

麗雅

コルドンブルーバナー

プレジス

脳内快楽バナー

更科青色の思いつき(仮)バナー

女王鏡華の猟奇的人体実験室バナー

SM遊戯バナー

麗奈ブログ

ユリイカ

一年目の浮気

whipLogo

ピンククリスタル

アマルコルド

ヴァニラ画廊

SMペディア

奇譚クラブ

東京SMクラブ

女王様出会い研究所

女王様出会い研究所

名古屋ベラドンナ_涼子女王様のブログ

名古屋SMクラブBella-Donna愛瑠(エル)

アンモナイト

月別アーカイブ


【最近のトップ画像】

PU_mesen.jpg

PU_GTOP_Randam_01.jpg

PU_Yudit.jpg

アクセスランキング

[SMカテゴリー]

20位

アクセスランキングを見る


m(_ _)m


ランキング

SM名言集



みんな違って、みんないい


yaso―特集+ドール yaso―特集+ドール





ブログパーツ