横浜美術館で開催中の
「ヌード NUDE -英国テート・コレクションより」に逝ってきました。(6月24日まで)
これは近年まれに見る、なかなか面白い展覧会でした。
別にこれまで隠していたわけではありませんが、僕は女性の裸は普通(?)に好きです。
だけど今さら言うまでもく、女王様は服を着ているほうがいい。
昔、某SMクラブで「女王様は服をお脱ぎになりません!」等と書かれているコンプライアンスを目撃し、愕然とした覚えがあります。
そんなの当たり前じゃん(>_<) まぁ、SMの楽しみ方は人それぞれですから、とやかく言うのは野暮というものですが。
そんな僕でも(仮性マゾだからかもしれませんが)心の奥では、女性の裸への憧れの気持ちを抱いてはいるのです。
↑ 何をエラそうにチョーシこいてんのヨ (。。)☆\バキ それはエッチな気持ちからではなく、純粋に美しいと思うから。
↑ 何をエラそうにチョーシこいてんのヨ (。。)☆\バキ
(。。)☆\バキ この展覧会では女性ばかりでなく、男性ヌードも展示されています。
伝統的に女性美は男の視線から描かれてきましたが、ジェンダー・フリーの現代、斬新な構成でとても勉強になりました。
絵画で目を引くのが、ジョン・エヴァレット・ミレイの「ナイト・エラント」

裸の女性が木に縛られているのを騎士が助けようとしているの図です。
西洋では珍しい「女性緊縛」がモティーフになっている 。(。。)☆\バキ
この絵は発表当時、あまりにも過激すぎるということで物議を醸しました。
近年のX線調査で明らかになったのは、最初、女性は騎士の方を向いて、目を合わせていた。
後になって向こう側に顔を背けるように描き直されたのです。ナゼ?
過激さを抑制しようとしたのでしょうか?
その理由は、当時のモラル意識や空気感が原因のようで僕にはよくわかりませんが、結果的に描き直された方が、今にして思えばよりエロティックに、つまり過激になっているのではないのかな・・・、と思いますが、どうなのでしょう。
ここで男女が見つめ合っていると、神話っぽくて嘘くさいよ。
(だから、その方がセーフ)
向こう側を向いていることにより、乙女心の恥じらいが強調され、団鬼六風の情趣が醸し出されるような気がする。
近代以前の西洋絵画では、単独での女性ヌードはタブーで、神話や聖書、歴史的な背景と根拠がなければモティーフとして許されてこなかった。
なので、騎士が乙女を救うという「まっとう」な主題だったのに、世俗的な羞恥心がより感じられるよう修正されたことの方が、僕にとっては奇蹟の変更に思えるのですが、何か問題ありますでしょうか?
この描写は特に日本人の心に沁みたようです。
当時この絵を見て衝撃を受けた日本人が、明治政府の公費留学生として渡英していた日本画の下村観山で、この絵画の模写を水彩で試みています。

この作品も今回の常設展で見ることができます。
19世紀の英国画家
フレデリック・レイトンが次のように述べている。
「もっとも高貴なる創造が生んだ威厳と美 --- それが人体」 その人体をもっとも印象的に表現できるのがヌード。
服や靴、帽子などの小道具は必要としない。
それに異議を唱えるつもりはないけれど、裸に小道具はあったほうがいいな、と思わせてくれるのがこの作品。

フィリップ・ウイルソン・スティア 「座る裸婦---黒い帽子」 この絵を見た瞬間に「
黒い帽子フェチ」になりそうな気がしませんか?
もちろんヌードとの合わせワザではありますが、「人体の威厳と美を」強調するのは、ヌード以外の要素も重要であることの証と言えるのではないでしょうか。

オーギュスト・ロダンの代表作「接吻」の日本初公開が話題の企画展で、等身大を超える男女のキスシーンは、確かに、迫力あった。一見の価値はあると思います。
タイトル通りの彫刻だけど、間近で見ると確かに「抱擁」という感じ。圧倒される。
この作品だけ唯一、会場内で写真撮影が許可されていましたが、僕は撮影しませんでした。
インスタ映えなんてしたくない。
↑ インスタやってねーくせに (。。)☆\バキ 僕が知らなかっただけで、地味に凄い小品もけっこう来ていまして、例えば、同性愛を描いたホックニーによる素描(カヴァフィスの詩集の挿絵)や、
バルテュス、キリコやポール・デルヴォーなど、ポピュラーな画家たちの意外な作品も集められた多種多彩なキュレーションには興味がつきません。オススメです!
展覧会概要・美術展ナビ
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