
高校時代からSMクラブ通いしていたとカミングアウトされたコメンテーターがいたが、あの時代にそれが可能であったということ、しかも港区民だったということは、かなり育ちがよろしかったのであろう。
それでなくとも、十代で逝く勇気、その決断力に驚かされる。
30歳過ぎてから遅咲きで逝った人もいるようだし、僕などは標準レベル?だったのであろうか・・・
僕が初めて逝ったのは大学生の時だったが、悩みに悩ぬいて、やっとの思いで決断した覚えがある。
本当に、逝ってもいいのだろうか?
そんなことが許されるのか?
いざ現実的に実行可能となった段階で、怖じ気づいていた。
遡ればそれは、ショー学生の時から追い求めていた、人には言えぬ、見果てぬ夢であった。
実際のところ、バイト代を積み立てた秘密の「M預金」だけでは足りず、親からの仕送りで補填。
なんとか、やりくりしたが、それがまた罪悪感というか、ウシロメタくて・・・
両親は僕が東京で勉学に勤しみ、立派な大人になることを願って、送金してくれている。
そのかけがえのない、貴重なお金を、SMクラブで女王様に顔面騎乗されるために使うだなんて、誰がどう考えても、親不孝にもほどがある。せめて就職してから、自分で稼いだ初任給でまず親に感謝の気持ちの贈りものをしてからにすべきだった。
これほどナサケナイ自分にも、良心の呵責ってもんがある。
いや、もう良心そのものがない。しかし、両親はある。(イヤ、シャレでなくて)
僕の青春時代は、特に何かに打ち込むという情熱は持てずに、その日その日を、何ものかに追われるかのように、それなりに、いや、かなり真面目に送っていた。
ほどほど裕福で、比較的恵まれた環境にいて、何かに必死になりたかったのかもしれない。
そして何となく、実態のわからない夢を情熱的に追い求めていたような気もする。
そのような「表」向きの熱意とは別に、肉体的、精神的コンプレックスからくる、暗い負の情熱が、マグマのように噴出口を求めて、渦巻いていたのではないかと、今になってからは、思うのである。
港区六本木での初めてのSM体験によって僕は、眩しい青春の喜びと、人生の苦悩に目を開かされた。
アレ、なんのハナシでしたっけ?
あ、
「復讐の美尻」は、中古DVDがまだかろうじて流通しているようですので、見ようと思えば見れるかもです。
この作品の監督は春川氏本人で、そういう意味からも見逃せない作品だと思います。
幻の絵コンテ ①幻の絵コンテ ②幻の絵コンテ ③幻の絵コンテ ④