
4年前のトップ画像 明日にでも北朝鮮から水爆が飛んでくるかもしれないと思うと、正月気分も吹っ飛びます。
それでなくとも、松の内も過ぎてお正月気分はそろそろ終わりでしょうか。
悪ふざけで書いております「仮想トーク」というカテゴリーで記事をまとめようとしていたら、ずいぶん昔にも新春対談系のネタでやっていたのを見つけました!
2012年の新春対談 ネホリ氏 vs ホーマー これは古い知り合いで
土下座フェチM男さんとの、実際の会話が元ネタで、もう忘れていたので我ながら笑ってしまった。
不祥事で謝罪するお偉方の映像が日常的に見られる昨今。
あ〜ゆーのは、あまり気持がこもっているように思えない。
もちろん責任は感じているのだろうが、本当に悪いのは自分だと思ってないみたいだ。
(確かに、現場でくい打ちデータの偽装や流用を繰り返している担当者レベルが相当悪い)
それに比べると、自分自身の過失で謝るのではなくて、崇拝している女王様への忠誠と感謝の気持を表すための「土下座」というのには、深い誠意が感じられるし、またそうあるべきなのだとあらためて認識しております。

まあ、「こんなヘンタイでごめんなさい」という、謝罪モードもあるけれど、それに我慢しておつきあい下さる女王様への感謝の気持の方が大きい。
若い頃には、何事に対しても感謝の気持というのが薄かったような気がします(今もだが)
SMプレイではよく土下座をしますが、リアル生活ではそういうチャンス(?)は滅多にないでしょう。
僕もそこまでのドジを踏んだ経験がないので、実際の気持はわかりませんが、SMバーや密室でヴァーチャル・リアリティとしての土下座をしてみると、ほんの一瞬だけど「リアリティ」を感じることができたりする。
その時の本心の一部にはおそらく「俺、何おバカなことやってるんだろ?(>_<)」ってな感じも少しだけある。
何も悪いコトしてないのに、お天道様に申し訳ない。
女王様も「親(または奥さん、子ども))がコレ見たら、泣くよ」とか、いい感じの言葉責めしてくるし。

だけど次の一瞬、地べたにおでこをこすりつけている僕の頭を、ハイヒールで踏んで下さる女王様にへの感謝の気持があふれてきて、なんともカントモ、心地よい。
これがマゾヒズムのミラクルなのであろうか。
いずれにしても、土下座や謝罪には、気持がこもってないといけません。
気持のこもった土下座を実現するのに、SMプレイはよい練習になります。

SMというのは武士道と同じで「礼にはじまり礼に終わる」もの。 どうでもいいか、そんなコト。