アンドロイドは電気鞭の夢をみるのだろうか? 何度でも観たくなるフェティッシュな映画だ。僕が20年以上前に初めて買ったレーザーディスクのソフトで、少なくとも30回以上は観ているだろう。所有して、いつでも観れる状態にしておきたくなるという意味でもフェチ的な作品だと思う。映像美というものが何かを知らしめてくれる。ストーリーも素晴らしい。
レプリカント
感情以外は人間と変わらないアンドロイド。
だが、製造後数年たつと感情も芽生えてくる。
つまり物質なのに人間以上のパーフェクトな生命体。
宇宙や戦場など過酷な環境で人間の代わりに作業する人間そっくりのアンドロイド。それがレプリカントだ。
この概念自体が実にフェチだ。映画の中では慰安用レプリカントも登場するが、そう遠くない将来、人口知能を持つダッチワイフのような、性欲処理用、SMプレイ用といったアダルト・グッズが実際に開発されるかもしれない。
「羞恥メモリ」などという高度なプログラミングがなされて恥ずかしがったりもする。
しかしユーザーがセックスしたり鞭で打ったりするのを「受ける」タイプではなく、こちらの要望通りにユーザーを虐めたり、辱めたりしてくれるような「アクティブ」なレプリカントが僕は欲しい。生身の人間でなく、物質の心を持つアンドロイドのミストレスに調教される。これぞ究極のフェティシズムとは言えなくはないだろうか。それこそ、「毛皮を来たヴィンーナス」のワンダや「痴人の愛」のナオミの人格をプログラミングして、奴隷契約書という名の脚本を自分の思い通りに演じてくれるミストレスを創り込む。エゴマゾのパーフェクトな夢が実現するのだ。
映画の後半、ハリソン・フォード演じるデッカードが慰安用レプリカントであるプリス(ダリル・ハンナ)と対決する戦闘場面。プリスの太ももにデッカードの首が挟まれる一瞬がある。他にも印象深い名場面はたくさんある映画だが、このシーンはFemDom的に忘れがたい。ウラヤマしいぞハリソン・フォードめ。このシーンが頭から離れないっす(← 何回も繰り返して見てるからだ)
あ~、レイチェル(ショーン・ヤング)みたいなレプリカントに虐められたい!

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