
去年の今頃、生まれて初めてピース・ウォ-クなるものに参加しました。参加させられてしまったという方が正確かもしれない。友人にそういうNGOやボランティア活動に熱心なのが何人かいて、前から誘われていた。戦争には反対だが、それを声高に主張するほどの信念はない。今の日本でそれはあまり現実的とは思えなかったから。その友人というのは、去年イラクで人質になり解放された一人と交流があった。だから彼らにとっては、僕よりはリアルに取り組んでいることは理解できた。
誘われ方としてはカジュアルで、主義・主張にはあまり関係なく「とにかく面白いから一度来てみたら」みたいなノリ。正直なところ、あまり気がすすまなかったけど、つきあいも大切だし「何事も経験だ」と思ってひと歩きしてきましたですよ。
一昔前のデモ行進みたいなのをイメージしていたのだが、家族づれ子どもづれが多く、なんとなく浮かれたお祭り騒ぎ。
反戦という意気込みが感じられない。ちょっと拍子抜けした。それが今ふうなのだろう。ライトな自己主張。
しかし、
普通このような行動はしない人の方が多い 今の世の中。
道路のど真ん中を練り歩いているこちらに投げかけられる視線には、「暇なヤツ」とか「よくやるよ」みたいな、軽蔑とまでは言わないまでもどこかシラケた、「一線を越えてしまった人種」を見るような目つきを感じた。
う~ん、やっぱり何だか恥ずかしいぞ、これは。
いいことなんだろうけど、本気で世界平和を訴える気力も覚悟もない人間がこんなことやっていいんだろうか?
自主的に信念を持って歩いているわけではないことへの後ろめたさも感じる。
本当は個人的にもっと気になるのは環境問題の方だったりする。地球温暖化や遺伝子組み換え作物、ペットボトルのリサイクルとか。そしてエネルギー問題。どちらかというと、そういう項目に関係する活動になら、もっと積極的に関わってもいいとは思う。それなら僕にとっても現実的な問題となる。
というような話を後で友人にしたら、「それはそれでいいんじゃない」だと。
無理しないで、自分にできることをすればいい。この種の運動は押しつけがましく「するべきだ!」とか言っても広まらないことを向こうも知ってる。ただその人との距離間しだいでは、最初はとにかく来てみて!と少し強引に誘ってみるらしい。体験してみてからそれをどう思うかはその人の勝手だ。何も知らずにいる人がまだたくさんいるから、そういう人たちにまず「知ってもらう」ことが第一歩なのだという。
僕は何も知らないと思われていたらしい。
確かにお義理とはいえ一応体験した。彼らの活動も直に見た。一応その結果がこのエントリーに反映されたと言えるのかもしれない。彼らにはこのブログのことは伝えていないが、もう一つある表向きのブログにはもっと突っ込んだ記事を書いておいた。
こちらの裏ブログにもおよそフェムドムともSMとも関係ないネタでここまで書き込んでしまったのは、彼らの戦略にハマってしまったからなのかもしれない。
いつもとはひと味違う羞恥心をピース・ウォ-クで体験してみて、勉強になることはあった。やろうと思えばとりあえず、自分の変態性願望が叶えられる今の境遇に、精神的・経済的なゆとりのある自分の生活環境に、少しは感謝の気持ちが持てるようになった気がする。
エゴマゾは直せなくてもたいして恥ではないでしょう。だからその罪滅ぼしに一人の人間としては、傲慢で利己的な態度を少しでも慎むよう努力してみようと思う。かといって具体的なアクションをすぐに起こせるほどの根性はない。偽善的だなあとは思いつつ、僕が感じたことを共感してくれそうな人たちにもお伝えすること、何かのアクションのきっかけとなりそうなものをお知らせするぐらいが、今の僕に無理なくできるささやかな「活動」なのだと思います。
平和運動でも環境問題でも、個人的な思いや行動が社会的にどうなっていくかについて僕が強く考えさせられたきっかけに
レスター・ブラウン の言葉があります。
こんなこと書くこと自体がお恥ずかしいのですが、お暇なら読んでみて下さい。あなたのクリックで世の中変わるかも。
( ↑ うさんくさい表現だな~ ^^)
プランBについて(レスターから)ワールドウォッチ