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マゾヒズムに花束を!

恥ずかしくて、ためになる情報発信 Female Domination & BDSM

よいお年を! 

 いつ思ってもいいはずなのに、毎年12月も終わりに近づくと、「1年って早いよな~」と感じる。去年の今頃は何やっていたっけ?新しいカレンダーや手帖など見ながら、来年について思いをめぐらしてみたり。12月のこの時期だけ、「今年1年」を総括してみたくなる。普段は「来月」や「先月」のことなんかほとんど考えないくせに。日本人の独特の「情緒」が年の瀬に際立って感じられるような気がする。少しだけいつもと違うロマンティシズム。

 なんとかのんびりとした大晦日をむかえてはいますが、世の中は深刻な不況。とりあえずこんな気分でいられる自分は幸せなのだと思いたい。誰からも刺されることなく、首を切られるでもなく、無事に歳を越せそうだというだけで、神様に(いればだけど)感謝したくなります。

 今年もSMクラブで何度か鞭打たれました。親子ほど歳の離れた若い女王様の練習台になり、思いっきり泣かされたものです。このような行為は神様を(いればだが)冒涜するようなものかもしれない。だけど、少なくとも好きなことにお金を使える自由な身の上というのは、健全と言えるのではないかな。変態のクセに偉そうなことほざくなと言われそうですが、お金を払ってまで苦痛や不自由さを楽しむなんて、マゾヒストってもの凄い贅沢な倒錯なんだと思う。金銭的にというよりも精神的な面でね。サディストさんと張り合うつもりはありませんが、マゾヒストの方が質素だし、ミジメだし、かわいそうじゃないですか。それなのに本人が幸福を感じることができるのは、気持ちにゆとりがあるからだと思うのです。

 かつてイギリスでもたいへんな不況にあえいでいる時、新聞記者が経済学者のケインズに「長期的にみて、我々はどうなるのでしょうか?」と尋ねた。経済のエキスパートに、何か楽観的な見通しを期待しての質問であったのだろう。この時のケインズの答えが伝説的に有名なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 「さよう、長期的にみれば・・・」 と、ひと呼吸おいて彼は次のように述べた。

長期的にみれば、我々はみんな死んでいる

 「北斗の拳」の遥か以前の、このあまりにもお茶目な答えは、英国のマスコミ史上に残る大爆笑を記者団にもたらした。

 もともと明確な答えなどありえない質問、聞いた記者だってそれぐらいのことはわかっている。「なんとも言えない」「ノーコメント」でも誰も責めないだろう。しかし「人間はいつか必ず死ぬ。だからそんなこと心配しても仕方がない」という言外の意味は、今の我々の心にもしみるメッセージとして伝わる。ところがそこにいたドイツ人記者は「こんなジョークはけしからん!」とマジきれしたそう。ケインズ流の、いや英国風ユーモアを理解するには気持ちのゆとりが必要ですね。

 リッチな人もワーキング・プアーも、死が避けられないのは皆同じ。日々の暮らしに不満や問題があろうとも、限られた人生をどう生きるかでクオリティ of ライフは決まる。通り魔に明日刺されて死ぬかもしれないのだから、その時に後悔しなくてもいいような生き方、一日、いや1分をかけがえのない一瞬として大切にしたい。それはSMクラブで過ごす70分にもいえる。仕事先での時間。家族と過ごす時間。一人でいる時間。どんな時間でも、そこにいる自分の気持ちひとつがその価値を決める。時間の長さは同じでも、中身を決めるのは自分。

 どうせ長期的にはみんな死んでいるわけだから。気の持ち方ひとつでハッピーになれるのではないでしょうか。今年1年を振り返ってみるとそんなことを感じずにはいられません。

 皆様も健やかに新しい年をお迎えください。
[ 2008/12/31 09:47 ] つぶやき | トラックバック(-) | コメント(-)

女王様はわかってくれない? 

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 全ての職業女王様がそうだとは言わないが、ほとんどの女王様はM客のリクエストに応えようと努力していると信じたい。満足感を与えない逆向きのサディズムは、SMクラブではありえないだろう。

 それなのに、満足できないお客さんは常にいるようだ。

 よく言われるように同じマゾヒストでも十人十色。みんな異なるマゾヒズムを抱いている。あえて単純に言うと、鞭で打たれるのを好むハード嗜好のMと、顔面騎乗が好きなフェチMとでは、マゾヒズムの質が違う。全く別ものだと言ってもいい。だからといって、この両者に接点がないかといえば、そんなことはない。両方とも好きで、鞭で打たれながら顔面騎乗されたいと思う人もいる。

 あるいは、今日は鞭で打たれたいけど、明日は打たれたくないのかもしれない。

 または、両方とも好きだが、同時にされるのは好まれないケースもあるだろう。

 もしかすると、鞭で打たれたい女王様と、顔面騎乗されたい女王様は別なのかもしれない。実に意味不明なバリエーションが無数に存在する。苦痛と快楽は複雑に絡み合っている。




 SMクラブの女王様というのは、少なくともそのように複雑なマゾヒズムを理解する人でなければならない。例え理解できなくても、理解しようとするポジティヴな態度を持つべき。最悪の場合、わかったふりというか、演技力が求められる。そういう意味では、SMクラブの女王様もたいへんだ。まったく意味不明な世界を受け入れ、しかもその相手を満足させなければならないのだから。たとえ理解できたからといって、いいセッションになるかどうかの保証はない。相性の問題も含めて常に不確かでリスキーな状況の連続。並の神経ではやっていけないだろう。マゾヒズムを理解するというよりも、千差万別な相手の嗜好を理解しなければならない。

 セッションがうまくいかない原因には、客側にもその責任はある。恥ずかしい依頼内容を明確に伝えることが出来なかったりする。経験豊富でわかっている女王様であれば、言われなくてもお客さんの願望を読み取り、適確なセッションをある程度組み立てることが出来ようが、よしんば客側が上手く言えたとして、そのメッセージが正確に女王様に伝わっているかどうかが問題だ。受け手側が間違った解釈をしてしまう場合だってある。女王様の個性や能力も、これまた千差万別なのだ。

 結果的にセッションが上手くいかなかった場合、女王様は一生懸命にやっていたにもかかわらず、客側としては「あの女王様はわかってない」ということになってしまう。何か不満があれば全て女王様のせいになる。本当にそうなのだろうか?

 僕が最近思うのは、SMプレイとかセッションというものは、クラブだろうがプライベートだろうが、コラボレーションであるということ。きちんとした信頼関係もないのに、イキナリ充実した共同作業を実現するのは難しいし、極端な話それは無理だと言っても過言ではあるまい。特に経験の浅い若い女王様との初セッションでは、半分ぐらいは様子見程度にして、気持ちのゆとりが客側にも必要だと思う。
 
 「お安くない料金を払っているのに、それではすまされんだろう」という人もいるかもしれないが、料金分の満足感を得るための努力を客側も怠ってはならない。金銭の授受によるサービスの供与という一般的な概念は、通用しない特殊な世界だと(僕は)思っている。各女王様の能力的格差はあるだろう。しかし少なくともマゾヒズムに好意的な理解を示そうとはしているはずで、何も知らないノン気の女性とは最初から格段の差が開いているのだ。こちらからのアプローチ次第で、満足度の高いセッションへ持っていくことができる。

 人は誰も「自分だけが特殊」だと思いがちだ。もしそれが本当なら、人は皆特殊な存在なのである。人間一人ひとりが特殊な存在だという認識に至れば、言い換えれば「自分だけが特殊ではない」というやさしい気持ちになれると思う。今回お世話になる初対面の女王様に、お互いがかけがえのない「特殊」な存在として向き合うことが出来れば、もう少しリラックスしたプレイが可能なのではないだろうか。

 よいセッションとは、優秀な女王様が一人で作るものではなく、特殊な二人が(あるいは複数でも)協力しあって初めて実現するように思う。理解してもらいたいのはお互い様であり、相手のことも理解しようとする努力と敬意を忘れてはならない。このことは何もSMのセッションだけの話ではなく、ごく基本的なコミュニケーションのお話なのでした。


【関連エントリー】


■マゾ力

■SMクラブの仁義

■ SMは芸術?

■ SMを楽しむために




[ 2008/12/30 16:56 ] つぶやき | トラックバック(-) | CM(0)

粋な会話をしたい 

 いきなりSMクラブに行くのはちょっと気が引けるという人は、SMパブやフェティッシュ・バーから始めてみるのもオプションの一つ。普段は出来ないアブノーマルな会話を楽しめる。SMクラブでしてもらいたいことを女王様に伝えるいい練習にもなるだろう。とはいえ、スナックやバーと違ってこういうところは、初めての時はどうしても気まずいものだ。カミングアウトのつもりでいても、間が持たないことだってある。普通の会話以上に研ぎすまされた神経の使い方が必要だと思う。

 偉そうに書いてる僕自身、先日行ったSMサロンで、自分のコミュニケーション能力の未熟さを思い知らされた。( ← 今さら遅いって)

 SMのことに関して、ブログではわりと自分の恥ずかしい願望なり妄想をうまく書けてたかも?とちょっといい気になっていたかもしれない。実際の会話となるとからっきしダメだった。もともと、普通の会話だって得意とは言えないのだ。SMの会話だけ上手くできるわけがない。だから、あの時に言われた「お得意の文章力で何か言え」という突っ込みには本当にマイッてしまった。

 文章の方はある程度準備期間があるし、書き直しもできる。しかし、会話はライブでやり直しがきかない。ああいう場で気の利いた受け答えをアドリブでやれる能力というのは、ほとんど才能の世界なのだと思う。しかし口下手だからといって臆することもない。あちらの方が海千山千だったりするのだから。流れに逆らわず、身をまかせるような快感があるかもしれない。

 フェティッシュバーやSMサロンにいるミストレス達は、プレイ経験の豊富な女性が多い。SMという特殊なコミュニケーション・スキルを実践的にこなしてきた彼女達であればこそ、多様なタイプのお客さん相手に対応可能な接客能力も開発され、蓄積されていく。そこらへんのスナックやパブなどで腰掛けでやってるようなチーママやホステスとは質が違う。

 店内に初めて入った時、全裸ではないが男性が吊られていた。この時点で僕はもうドン引きである。(俺も吊られちゃうんだろうか?)

    初めての客が、それはありえないって (。。)☆\バキ

 今から思えば、「やってますね~、ちょっとおじゃましま~す」とか言って、サロンの場に入り込むこともできたのかもしれない。

    初めての店でそんなことするヤツもありえないって (。。)☆\バキ

 このような場所でKYな発言は禁物である。まずは状況を把握し、場の流れやムードを壊さないようにしなければならない。僕は静かにカルテを書き、持参したお土産を渡しただけでしばらく黙っていた。ホントに最初は間が持たなくて辛かった。

 一見の客としては、ちょっと空気の読めてないぐらいは許してもらえることもある。もし場違いなことを言ってもそれを正すリアクションに気づけば、別の展開もあったかもしれない。黙っていて「放置」されるくらいなら、多少不自然でも絡んでなんらかの展開を期待したいではないか。インタラクティブなやりとりでしか、「空気を読む」能力は得られないし、進化もない。そうは頭ではわかっていても、なかなか実行できないものなのだ。実際出来ないでいた。ネタは仕込んであったのだが、きっかけをつかめずにいた。

 僕は相当緊張していた。

 なにしろ数年前から顔と名前だけは知っているきれいな有名女王様が2人もそこにいる。おそらく名実ともにトップレスのミストレスである。じゃなくて、トップクラスのミストレスである。そのような状況が、いっそう僕をテンパッた状態にしていた。

 楽しもうという意欲だけはあった。それは何も虐めてもらおうとか、吊ってもらいたいとかいう変態願望ではなく、ごく普通の会話レベルでの話である。それなのに自分からは何も話すことが出来なかったのだ。「話題を振る」という、誰でもやってるフツーのことが出来なかった。場に馴染めていなかった。明らかに浮いていた。

 テーブルの下に日経新聞が見える。その広告が目を引いたのでじっと眺めていたら、ふと有名女王様が、

「この広告考えた人、絶対にフェチ入っているわよネ!」

 とその新聞を手に取って話かけてきてくれた。

 航空会社のものにしてはちょっとエッチっぽいコルセット姿の広告に、僕は目が釘付けになっていた。そしてドギマギしならがらも、

「これを採用したAIR FRANCEの担当者もわかってたのかも!」と応えた。

「あ~、このイメージを企画した人のフェチをネ!」と女王様。

 意外なほどほどすんなりと、自然な会話が成立していた。

「変態同士のコラボレーションですね」。なんだか調子がよさそうだ。

 どうってことのない、ありきたりの会話だろう。萎縮して黙りこくっている僕に、リラックスできるよう無難な話題を振ってくれただけのこと。どこのスナックでも見かける光景。

 でも知ってか知らずか、僕好みの話題(男なら誰でも食いつくだろう)を投げかけてくれたことがウレシかった。思わず飛んできたそのボールを受け止め、なんとか投げ返し、それがきっかけとなってフェティシズムについて肩の力を抜いて話すことができた。
 
 見てないようで、きちんと客を観察している。ルックスは迫力満点のナイスバディに圧倒されたが、話してみると繊細で気配りの上手さに心打たれた。僕のブログも「読んだことない」とは言ってたけれど、多少は読んでいなければ出てこないはずの台詞も聞いたような気がする。平凡なホステスなら客に合わせて知ったかぶりをしていたかもしれない。誠実で上品な「言葉責め」に僕は酔いしれた。

 う~ん、惚れたね!

 このカリスマ女王様は先月ユリイカを退店し、六本木でリニューアル・オープンした モード・エ・バロック というフェティッシュ・バーのママとして活躍されている。今度はそちらへもおじゃまするとしよう。





 ■ SMサロンに初めて行ってみる




 ■ 解禁モモカ!





[ 2008/12/29 22:14 ] つぶやき | トラックバック(-) | CM(0)

沼正三 

神の酒を手にいれる方法


 奇譚クラブに沼正三が初めて登場するのは、昭和28年4月号に掲載された「神の酒を手にいれる方法」と題される、芳野眉美宛の投稿だとされている。(それより以前にも投稿していた可能性は残ります)


「家畜人ヤプー」の連載が始まるのはこの3年後。その翌年に天野哲夫が「マゾヒズムへのいざない」という投稿で初登場。そしてこの翌月に沼正三が「天野哲夫氏の登場を喜ぶ」という一文を寄せた。これら一連の投稿が同一人物の自作自演なのか、独立した2人が存在していたのか、今となっては知る由もない。

 「奇譚クラブ」は、今から思うと

戦後の「2ちゃんねる」

 みたいなものだったのかもしれない。全国から届く匿名の投稿が載る紙の掲示板。編集長は投稿を校閲・整理するのが主な仕事で、ネット掲示板の管理人のようなもの。須磨利之みたいに、一人で何人もの役割を演じている編集長がいたぐらいだから、投稿者の中にもハンドルネームを複数使い分けていたマニアがいたとしても不自然ではない。先月自分が投稿した内容に対して、今月は自ら批判してみせる自作自演が、のんびりと、まったりと行われていたのかも。

 そのように考えると、沼正三の複数説もまんざらでもなさそうな気がしてくる。
 
 沼正三 のもう一つの代表作が「ある夢想家の手帖から」だ。「奇譚クラブ」連載時は「あるマゾヒストの手帖」というタイトルであったが、単行本化されるにあたり題名の配慮がなされたのであろうか。こちらは「ヤプー」ほど奇想天外ではないものの、やはり思想的に多少マゾッ気がないとついていけない部分はある。ヤプーで描かれていたディープでコアな妄想ワールドを、古今東西のテキストを手がかりとして少し軽いタッチでナビしてくれる。ヤプーの初心者向け副読本としてはいい感じだ。

 これを読んでいると、筆者は学者というより、裁判官なのかもしれないと本当に思ってしまう。マゾヒズムに関する考察を、過去の膨大な文献資料をもとに行うそのやり方は、判例を紐解きながら公判を行う裁判官のそれを連想させる。判例を根拠に判決という論文を執筆するがごとく、人類の英知や芸術活動を根拠にマゾヒズムの普遍性や素晴らしさを唱えるのである。







【関連エントリー】


■ 家畜人ヤプー

■ 演劇「沼正三/家畜人ヤプー」

■ 寺山修司と三島由紀夫





[ 2008/12/29 13:05 ] 人物 | トラックバック(-) | CM(1)

犬になったお父さん 


 なんとなく面白いと思ってみていたソフトバンクのTVコマーシャル。ちょっとシュールなユーモアの中に、SM的なメッセージが隠されていたのをご存知だったろうか?

 このCMに登場する「白戸家」の家族構成はこうなっている。

◆ 父親:犬

◆ 母親:樋口可南子

◆ 長男:黒人(ダンテ・カーヴァー)

◆ 長女:上戸彩



 韓国語で侮辱を表現する代表的な言葉に「犬の子」というのがあるらしい。そして韓国では日本人以上に黒人への差別意識が見られるともいう。

 日本人女性が犬と結婚して生まれた子どもが黒人と日本人(=犬の子たち)というのは、日本民族を人間以下とみなす屈辱的な設定というわけだ。犬がお父さんなのはいいとして、その息子がなんの前触れもなしに黒人さんであるというのは、確かにいささか唐突という気がしないでもない。穿った見方をすれば、黒人と兄妹である日本のアイドルも、韓流におとしめていることになろう。

 ソフトバンクの孫社長は在日韓国人。合理的疑惑の成立する余地がある。

 お茶の間でほのぼのとした人気のカイ君だが、反日感情と日本人蔑視の象徴だとしたら、なんとも皮肉な話ではある。

 ま、それはともかくとしても、「犬が夫」という設定だけでもすでにSM的で、お母さんの樋口可南子の足を舐めたくなるではないか。それだけで十分ヤプー的だし、マゾヒスティックな妄想の膨らむユニークなCMと言える。











[ 2008/12/26 22:09 ] たわごと | トラックバック(-) | コメント(-)

SMクラブの快楽 


 
 深刻な不況が続いているけれども、世の中どんなに景気が悪くなっても、この種のお店に 

 行く人は必ず行く

 SMクラブというのは、昔からそれほど景気に左右されない業種だった。

 もともと市場が狭いから儲かる世界ではなく、風俗業界の中でも暗い道のりを歩いて来た。

 最近はM男市場が成熟し、新規参入も増え、厳しい状況の中でダイナミックな展開を見せている。

 しかし、SMクラブの場合なかなか最初の一歩を踏み出せないでいる人は多いのではないだろうか。

 風営法改正後は摘発なども相次ぎ、初心者の敷居を上げてきた原因になっているのかもしれない。

 今回は、まだ行ったことはないけれど、おそる恐る、ちょっとだけSMクラブに行ってみたいかも?という人向けに、おじさんからのアドバイスをしてみたい。

 別に万人向けに宣伝するつもりはなく、むしろコレを読んで「なぁ~んだ」とがっかりし、行きたくなくなってしまう人もいるだろう。

 大きなお世話だと思うが、僕と同じようなマゾ性癖に悩み、迷っている人へのメッセージである。

 
 まずSMクラブというところは、そんなに恐ろしいところではない。ほとんどのSMクラブでは、優しい女王様が良心的な仕事をしている。そこは普通の風俗と同じである。

 ただし、ソープやヘルス感覚で、性欲処理のために行こうというのはちょっと違うような気がする。

 そんな気持ちで行くと失望することになるかもしれない。

 具体的には、(担当するミストレスにもよるけれど)必ずオ○んこが舐めれて射精できるとは限らない一面があるのだ。

 マニアックなお客さんがたまに特殊なことをする(してもらう)ことはあっても、あくまでも客の希望に対応しているだけで、それ以上のことは行われない。

 もちろんSMクラブではセックスはできない。法律ではソープだろうが援助交際だろうが、お金を払ってのセックスは規制されている。これも実に不思議なことではある。それはともかくとして、SMクラブで性行為が出来ると誤解している人はいるのかもしれない。女王様のヌードが拝めることもまずない。ソープでは当たり前のようにセックスが行われているし、ヘルスでもフェラチオぐらいはしてくれる(らしい)のに、SMクラブは違う。

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 SMクラブで女王様の肌の露出度はこの程度


 よく言われているように「荒稼ぎ」できるような仕事ではない。むしろワリに合わない。ソープやキャバクラなどのような「主流派風俗業」と違って、やっかいなマイノリティーを相手にする地道な稼業なのである。

 夜のベッドで自分の奥さんや愛人にはしてもらえないような、口に出してお願いするのも憚れるようなことを、SMクラブの女王様にはしてもらえる。それが、人によってはお馬さんごっこだったり、浣腸だったりする。

 たわいもないコトから、エグいことまでその内容はピンキリだ。

 そうは言っても、膣への挿入があるかないかの違いで、いわゆる「射精産業」の一つとしてSMクラブも位置づけられている。希望すれば手(足)コキで逝かせて下さる女王様はいる。

 SEXも含めたいわゆる「性的サービス」の業務形態は多種多様で、ピンサロやスナックだって、当局の目を逃れてなんらかのほにゃららが行われている可能性は否定できない。ちなみにスナックは正確には飲食業で、風俗業ではない。バーもそうだ。キャバクラが風俗業なのはホステスがお客さんの隣に座るから。それだけの違いで、もしスナックのママがカウンターから出て来て、客の隣に座ったら違法行為となる。それぐらいのことで通報する人はいないし、摘発もされることはなかろうが、法律のあほらしいところ。

 だから、SMクラブもそういう意味において「セックスなし射精あり」に至るまでのサービスが提供されてはいる。

 そのサービス内容が、複雑で特殊なのである。

 鞭で打たれたりするのはいいほうで、乳首やペニスに針を刺されたり、おしっこやウンコを飲んだり食べたりと、普通の人から見ればまったくムチャクチャな世界だろう。



 そんなことに70分2万円も払う人がいるのか?
 
 いるのである。

 それだけで満足する人も中にはいるかもしれないが、多くの場合独自のストーリーやプロセスがある。ソフト・ハードを問わず、その人にしか理解できないこだわりの世界観が性的満足にリンクしている。だから、優秀な女王様は型通りのプレイをしているわけではなくて、客のファジーでわかりにくい願望を個別に理解し、相手を先読みし 理想的には射精に至るまでの時間と空間を演出している。

 しばしばその手順を誤ると失敗することもある。男だから肉体的な刺激で逝くことはあっても精神的な満足には至らず、クレームとなったりする。

 ある種の客にとっては射精できればよいというものではないのだ。

 むしろ射精に至らなくとも、客の思い描くファンタジーが実現されればそれでよい場合すらある。

 多くのSMクラブまたは女王様は、限られた時間内でカウンセリングと打ち合わせを行い、客のこだわりの最低保証ラインを見つけだし、その近似値的な達成を目指す。実に面倒くさい、デリケートな仕事だ。指先のテクニックだけで逝かせる単純な業務ではない。技術や経験だけでなく、この仕事への愛と情熱が必要となる。

 相性というまた想定外なものも関係してくるから困る。その女王様に経験や情熱もなく、スキルが未熟であっても、M客との

 相性が合っていればオッケー

みたいなこともあるのだから。

 多少わかっているマゾヒストなら、未熟な女王様にあたってもそれほど憤慨しないだろう。すぐにその場で改善される問題ではないのだから。不幸にして、お相手となる女王様が役不足(力不足)であった場合、それならばと自分から相手のパフォーマンスを引き出す努力をするかもしれない。責めを受ける受動的な態勢でありながら、相手を自分好みのサディストに誘導していくのも、SMクラブの粋な遊び方の一つだ。2人で協力しあって、ベストのセッションを目指す。そうやってミニマムな妄想実現を期待し、哀れなマゾヒストは今日もSMクラブへと足を運ぶ。

 もしかして自分に多少Mっ気があると思っている興味本位のビギナーが、性的快楽だけを求めてSMクラブに行っても、必ずしも満足できるとは限らない。そちらを重視するなら、ヘルスかM性感を選ぶべき。

 SMクラブというところは、

 高度に洗練された倒錯願望の実現を追求すべき場所なのである。

 単純な性欲処理をするところではない。

 知的遊戯の流れの先に、性的満足があるのも事実だが、それは付随的なものである。

 料金もお安くはない。それだけの価値が本当にあるのかどうか、僕にはなんとも言えないけれども、お金にはかえられない素晴らしい体験の可能性はある。

 セックス以上の快楽だという人もいる。

 人として生まれたからには、いつか必ず行くべき場所。

 それがSMクラブである。
 


僕が5年前に行ったニューヨークのSMクラブのプレイルーム
映画「女性上位時代」に出てきたような豪華さ。
マンハッタンのど真ん中だったが完全防音で周囲にバレる心配なし。





【この記事を読んだ人は以下の過去記事も読んでいます!】


■ SMを楽しむために

■ 女王様はわかってくれない

■ SMクラブの仁義

■ SMは芸術?





[ 2008/12/21 17:24 ] 雑記 | トラックバック(-) | CM(0)


プロフィール

筆者に宿る仮想人格:homer



 自分に素直になりたい!そう願っているひねくれ者なのかもしれません。平凡で小市民的な暮らしを営む一方で、過激な妄想世界を漂う、無意識過剰の仮性マゾ。



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