
ごく平凡な誰もが、ちょっとしたことで簡単に人を殺してしまうかもしれない恐怖。いつ自分が加害者になるのか(あるいは被害者になるのか)わからない時代だと思った。母親が我が子を。子どもが親や教師を。妻が夫を。そして、個人的関係の一切ない見知らぬ隣人を。
東京・江東区の女性殺害事件で死刑を求刑された元派遣社員・星島被告の公判。冒頭陳述で検察側は犯行動機を被告が被害者女性を
性奴隷 にするために拉致・監禁したと糾弾した。
それは縦1メートル横2メートルのボード・ディスプレイを使ったプレゼンテーションで、わざわざ「性奴隷」を赤字にしたボードを作成して貼付ける「強調表示」という手法であった。裁判員制度を見据えたスタイル。まるでブログの太ゴシック・フォントを使ったように。
これでまた、新しいSMのボキャブラリーが一つ人口に膾炙してしまった。
嫌がる女性を無理矢理拉致・監禁して自分好みの奴隷に調教する。僕には容易に理解できない世界だが、S男性にとっては垂涎の妄想世界なのだろうか。想像するだけなら罪はないはずだが、こういう事件が実際に起こってしまうと、肩身の狭い思いをする人もでてきそうである。
被告は起訴事実を全面的に認めていたので、女を調教目的に拉致しようとしたのは事実だろう。性奴隷にするために拉致を実行してしまった時点で、彼は一線を越えてしまった。ストーカー程度にしておけばいいものを(それだってよくないことだが)拉致という離れ技を、大都会のど真ん中、それも人気の多いマンションでやれるのか? それはやはりまともな神経とは言えまい。成功するはずがない。しかし「拉致」までは成功したのだった。

気が狂うほどその女性が好きだったのであれば、拉致までは動機としてはギリギリ理解可能なレベルだ。しかしこの事件では、殺害に至るまでの動機が意味不明だと思った。事件の発覚を恐れたからとか、抵抗されたからだとか、やむにやまれずなのか、自尊心が傷つき憎悪が芽生えたからなのか、人間一人を殺すまでのキメの細かい経緯がもっと明らかにされないことには、再発防止にはならないと思う。量刑判断を重くする効果のためだけに、無惨に切り刻まれた遺体の断片を法廷でいくら見せつけたところで、あまり意味がない。検察は「脚の切断面の色は何色だったのか?」と被告に証言させたらしいがあまりにもナンセンスな質問だ。遺族もつらいだけ。遺族はもちろん僕たちが最も知りたい事件の核心部分は、なぜ殺されなければならなかったか、だ。
被告がハンパな倒錯者ではなく、クレイジーな殺人鬼ならばまだ納得がいくかもしれない。しかし、事件後逮捕前のインタビューに登場していた星島被告は、どこにでもいる普通っぽい好青年だった。(ちょっとオタク入っていた気もしたが)
普段は見かけがノーマルな人に潜む狂気。これは誰にでもあてはまる人間の内面の真実なのだろうか。別の言い方をするなら、人は誰でも、善良な人でさえ何かのきっかけで一線を越えてしまう可能性を持つ。極悪非道なヤツだけが犯罪を犯すわけではないという点が、うすら恐ろしい。
今回のこの被告は、「自分が死刑になることでお詫びします」と裁判の最後で遺族に謝罪した。謝ればすむというものではないが、謝らないよりは、いい。児童を殺害して死刑になった宅間被告のように、開き直って全然反省せずに死刑を執行されるより、少しはいい。
だが遺族感情からすると、極悪非道な輩に理不尽に殺されたことにしておかないと、気持ちがおさまらないだろうなとも思った。良心のひとかけらを持った「元」普通の人に、あんな残酷な殺され方をしてしまった事実は、重たい。
なれるものなら女性の「性奴隷」になってみたいとも思ったりするが、女性を拉致してきて、「僕を逆監禁して調教して下さい!」なんていう犯罪が起こらないことを祈る。