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マゾヒズムに花束を!

恥ずかしくて、ためになる情報発信 Female Domination & BDSM

ドーパミン 

SMAPの草なぎ剛、公然わいせつ逮捕



 ちょっと同情しますな。まあ、麻薬や暴力沙汰よりは可愛気があるんじゃないですか?

 これで好感度は上がると思うよ。

 それにしましても真夜中に誰もいないところで裸になっても「公然」ワイセツになってしまうんだなぁ。このひと脱ぎで何億という金が動き、多数の機関・関係者に及ぼす影響を思うとシャレにならない騒ぎではある。だからこそNHKの7時のニュースでも取り上げられた。だけど、酒に酔って全裸になるのと、ろれつの回らない状態で記者会見するのとは、どちらが恥ずかしいんだろう。
 
 アルコールが脳の機能を低下させるのは周知の事実ですが、飲酒によって神経伝達物質であるドーパミンの分泌が促進されることはあまり知られていない。

 マゾヒストが女王様から鞭打たれる時、あるいは打たれようとするその瞬間、マゾの脳内にはこのドーパミンが放出されている。

 「マゾヒストはドーパミンを求める詩人」とは北川繚子さんの言葉だ。

 ドーパミンが過剰に放出されすぎると、幻覚やパラノイア(精神分裂病)が起こったり、発話や運動をコントロールできなくなり、恥ずかしいことを思わずやったり口走ったりする。薬物依存もドーパミンに関連していると報告されている。苦痛が快楽に変換される仕組みはこの神経作用に関係があるらしい。

 適度の飲酒ならともかく、泥酔は犯罪を犯しかねない危険な状態をまねく。つい最近も酔った警官が一般人に発砲するという事件がモスクワでもあった。

 全裸になるのもやっぱり犯罪か。

 マゾヒストが鞭で打たれている時は、たいてい既に全裸だから問題はないわけだが。

                    ↑ そういう問題ではない (。。)☆\バキ


[ 2009/04/30 00:38 ] 報道 | トラックバック(-) | CM(2)

毛皮を着たヴィーナス 

毛皮を着たヴィーナス


河出書房新社


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 古今東西の名作は何度読んでもその都度新しい発見があるが、この作品もやはり奥が深い。

 初めて読んだのは十代の後半の頃。それまでぼんやりとしていた「マゾヒズム」という言葉が。明確に意識され初めた頃でもあり、なんだか猛烈に勉強してみたくなって、運命と言おうか必然と言おうか、この作品にたどり着いた。

 谷崎の「痴人の愛」は中学の時に偶然読んでいたがこの「毛皮を着たヴィーナス」は

  気合いを入れて 読んだのを覚えている。

 もうそれ以来座右の書として僕の本棚に君臨し続けている。

 普通の文学としても優れた作品。しかしそういう意味ではマイナーになってしまうのだろうか。今時の恋愛小説にしてはインパクトに欠けるだろうし、SM文学として見ても素朴な部類に入る。だけど、マゾヒズムに少しでも関心がある人であれば、自分なりの作品世界を豊かにイメージして楽しめる。
 
 SM的なコミュニケーション・ツールとしての愛読書にふさわしい。

 やはりときめいてしまうのは、主人公の二人、ワンダとセヴェーリンが取り交わす奴隷契約書の部分。SMの世界においては、奴隷と主人のような疑似的関係をファンタジックに想定するプレイがよく行われる。そこには明文化されていない「奴隷契約」のようなものが存在する。また、プレイの重要なアイテムとしてきちんと明文化したものを作成し、署名・捺印したりするカップルも存在する。

 最近主催者が交代したSMサークル「甘美会」のサイトでその実例がいくつか紹介されている。それらのテンプレートはこの古典的名作の中に見いだすことができる。直接ではないにしても、現代にも継承されているコンセプトの萌芽がここにあった。

 普通の書店にたいがいおいてあるはずだが、今発売されている表紙にはナゼか金子國義のカバーが採用されていないのが残念...


 *Sardaxがこの作品の挿し絵を習作的にWebで公開している。

毛皮を来たヴィーナス_Sardax

有名な奴隷契約を交わすシーン。

 壁にある絵は「サムソンとデリラ」のワンシーンと思われる。

毛皮を来たヴィーナス_Sardax




現在入手できる文庫本

毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)
(2004/06/04)
L・ザッヘル=マゾッホ

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[ 2009/04/29 13:54 ] マゾの本棚 | トラックバック(-) | CM(6)

江戸川乱歩の「陰獣」 

 今年はじめにブログを引っ越したさい、過去のエントリーが随分と移行されないまま残ってしまっています。新しいカテゴリー「過去記事リバイバル」ではそういう過去記事を再度復活させていきます。



 「崖の上のポニョ」
の話題で盛り上がっているヴェネチア国際映画祭。コンペティション部門に出品されていた「インジュ(Inju)」というタイトルが目を引いた。
 
 これは江戸川乱歩の「陰獣」を現代風にリメイクしたような作品で、監督はフランス人。かつて松竹でも映画化され、SMをモチーフにした乱歩の傑作である。サスペンスとしても秀逸で、まだSMという概念が人々に馴染みのない時代に、トッピングとしてのSMの味つけがまた素晴らしかった作品。

 キャストの日本人俳優石橋凌は、SMクラブの女王様から演技指導を受けたのだという。なるほど、微妙に変化していくSとMの人間関係の綾を表現するのに苦労しそうな作品ではある。演技のリアリティのためにわざわざSMクラブに行くとは見上げたプロ意識とは思うが、「個人的にそういう趣味はないです」だとぉ~??

 ホントか? 

 少しはSMに興味があるからこれ幸いと足を運んで楽しい思いもしたんじゃないのか? 

 もっと自分に素直になれよ石橋~! 赤裸裸にSMを語るイチロー選手を見習ってほしいものである。

 ま、それはいいや。とにかく昭和初期に発表された耽美的な日本文学が、ヌーヴェル・バーグのおフランスでどのように作品化されたのか興味がつきない。

 日本文化オタクのヘンタイ映画監督ヴィム・ヴェンダースが審査委員長なだけに、賞取りレースに絡んでくる可能性も大きく、「ポニョ」以上に日本人としては注目作品と言えるだろう。


【関連記事】

江戸川乱歩の小説を基にした映画『Inju』が登場/ヴェネチア映画祭

石橋凌:仏映画「INJU」に出演

映画に初主演した源利華の“INJU”での存在感にヴェネチア沸く

バラエティ・ジャパン 第65回 ヴェネチア映画祭

「Inju」レッド・カーペット




 これは松竹作品
   ↓





[ 2009/04/29 00:52 ] 過去記事リバイバル | トラックバック(-) | CM(4)

早稲田大学SM文学研究会 



 久しぶりに母校を訪れた。20年ぶりぐらい。さすがにここまでご無沙汰すると胸がキュンとなる。

 新学期が始まったばかりの活気の良さは、春の陽気とあいまって心地好い。

 新歓コンパもたけなわ。様々なサークルがひしめく中で目を引いたエスエムのもじ。

 あ、文学か。よかったよ「SM研究会」でなくて。

 でも、入ってみたいね。

 今の若い人にとって、SM文学とは何なのだろう。そしてエスエムとは?

 「毛皮を着たヴィーナス」とか、「痴人の愛」はもう古いんだろうな。

 クラフト=エビングのおかげで、SMはとりあえず精神病理学にカテゴライズされてしまった。つまり科学的な文脈で話すのが初期設定だった。

 文系/理系という分け方も今やナンセンスなわけだが、SMの切り口はもちろん複雑でいろいろある。文学的に研究するなら作品的にか思想的にか、美学や演劇的アプローチなども面白い。文系と理系を行ったり来たりシフトする人もいる。

 なにも偉そうに学問的にやる必要もない。サブカルチャーでいいし、風俗でもいい。僕の場合、性的以外にも様々なコンプレックスを克服(?というほど偉そうなものではないけれど)しながら、志望大学に合格したとたん、学問への情熱は失せてしまった。そのかわりに芝居にのめり込み、ダンスや演劇に熱中するかたわら、「いつかSMクラブに行ってやろう!」という動機でバイトする。

 しかし、リアルな人間関係で奴隷契約を結ぶという発想はなかった。そういう意味では健全?だったような、つまらなかったような・・・

 マゾヒズム一つとっても、その世界は広く、深く、暗い。病気の場合もあるのだろう。

 実際、病気とまで言わなくても、「少しヘン」だとして悩んでいる人は多い。僕も子どもの頃は悩んでいたし、「他の人と違う」というプレッシャーは相当なものだった。

 いつしか、「みんなちがって、みんないい」という境地に至り、マゾも変態もストレートなまなざしでみられるようになった。それはひとえに、大学生というモラトリアムな状態で、比較的のびのびと好き勝手な想像や知的探求が出来たからだったような気がする。そのような環境を与えてくれた両親と母校には感謝している。

 大学で勉強した内容はほとんど忘れてしまったけれど、キャンパス環境で視野が広がったことは一番の収穫だったかもしれない。

 大学に来て初めてマルクスの「資本論」を読んでみました~、みたいなノリで、SMというものに学問的に向き合える今の学生さんたちがうらやましい。幼少時のトラウマも劣等感もない健全な若い感性が、SMというものをどう捉えるのか興味がつきないところである。


[ 2009/04/28 00:41 ] 雑記 | トラックバック(-) | CM(4)

椋陽児 


 伊藤晴雨が9歳の時に目撃した 女が責められる芝居の場面 は、彼の心の闇を照らした。

 光の先に何が見えたのかは不明だが、そのクオリアは時代を越えて今の日本人にも生きている。晴雨の絵など見たこともなかった戦後生まれの子どもたちが、テレビの時代劇で下手人が縛られたシーンを見たのがきっかけとなり、SM的な性癖に目覚めたケースなどは枚挙に暇がない。明治生まれの晴雨と同じ経験を、高度成長時代の団塊の世代やベビーブーマー達もしてきたのである。

 緊縛の対象は主に女性であることが多いが、男女に関わらず人間が拘束されている状態には、なんらかのクオリアを生み出す原因があるようだ。「縛る」という行為には、縛る側と縛られる側に、身体的束縛による精神的解放がもたらされる。そのことによって神秘的とも言える美意識が芽生え、縛られた者は芸術的に美しくなり、見るものはそれを賞賛せずにはいられなくなる。

 僕はホモではないけれど、ゲイ雑誌などで男の緊縛写真などを見ると、嫌悪感と同時に、見てはならない 禁断の美 とでもいうようなものも、全く感じないというわけでは、ないのではないかもしれない、と言えなくはないかもしれない。

 実際、男の緊縛美というサイトもある。女性だけが美しいというのは性差別であろう。

 それはともかくとして、脳科学の分野で、人間が心の中で感じる様々な質感のことを「クオリア」と呼ぶ。意識の中で、物質でも概念でも、音でも匂いでも、<あるもの>が「あるもの」として感じられるのはいかにしてか。それらを感じる存在としての「わたし」はどのように生まれるのか。

 「わたし」という意識は、生まれる前はどこにあったのか?

 これらのことを科学的に解明するために登場した概念がクオリアだ。科学の進歩が凄まじい現代社会において、もっとも不可解なのが人間である。この世で一番難しいのは、己自身を知ることであろう。

 晴雨は責め絵を描くことでそれを知ろうとした。

 人間とは何か?を問いかけるために、彼は女を縛り、責め、そして表現した。

 そして僕も今、晴雨の絵をウェブで探しつつも、何故だか椋 陽児のイラストをやみくもにダウンロードしている。こうした意味不明な衝動の中にも、己自身を知ろうとする願望が隠されているような気がする。

  どうでもいいのか、そんなこと。



 椋陽児氏は、2001年に他界されていました。
 遅ればせながら心よりご冥福をお祈りします。




[ 2009/04/27 10:48 ] マゾロポリタン美術館 | トラックバック(-) | CM(1)

SMのクオリア 



 日本のSM文化は戦後の「奇譚クラブ」を皮切りに一気に噴火したかに見えるが、マグマのように地中深くで戦前からその活動の兆候はあったのだと思う。言葉は存在しなくとも、人々の心の闇にサドマゾヒズムの原形が芽生えていた。それはいつからだったのか? 

 縄文時代や鎌倉時代にまでは遡ることは難しいが、近代に入りかけたころの、様々な文献資料からその起源の足跡を推測することは可能だろう。

 江戸時代の刑罰史や明治以降の警察の調書などに「やち責め」というスラングが見られる。「やち」とは、今でもどこかの地方に伝えられる女性器の方言だ。つまり女性の陰部を責める拷問のことである。責めるといっても犯したり苦痛を与えるわけではなく、指などで挿入の直前に止めて焦らすやりかた。これをやられるとそれまでどんなに酷い拷問にも耐えてきた容疑者も自白したらしい。ご褒美にオーガズムを与えるというやり方は、SMプレイの基本である。

 このような形式の拷問がいつごろ開発されたのかは謎だが、よく言われるように女性は男性よりも肉体的苦痛に強いためだという説が有力だ。それもあるだろうが、お上や官憲は近代以前はほとんどが男であり、男の性欲またはサディズムが刑罰システムの中でイビツに発展してきたのではないかと僕は思う。残酷な拷問スタイルは洋の東西を問わず太古の昔からあるわけだが、このような快楽責めの方法はあまり聞かない。日本独自のアイデアとまでは言わないけれども、「やち責め」は大正時代の末頃まで行われていたという記録が残っている。そしてそのイメージはアンダーグランドで継承されていった。
 大正時代と言えば、あの伊藤晴雨が活躍した時代。女性が責められる様式美を芸術の域にシフトさせた日本のSM史のパイオニアである。「奇譚クラブ」の産みの親でもある須磨利之は伊藤晴雨の弟子筋にあたり、団鬼六にも思想的に多大な影響を与えている。



 伊藤晴雨は幼少より絵が得意で8歳で尾形光琳の流れを汲む高名な絵師に弟子入りした。
9歳の頃に見た芝居の折檻場面がきっかけで女性の責めや髪の毛に執着する性癖に目覚めたと伝えられている。おそらく自慰やセックスへの興味以前に、この種の(SM的な)魅力に取り憑かれたのではないだろうか。

 なんだかわからないモヤモヤしたもの。それを責め絵という形式で表現した晴雨。彼が自覚したSMのクオリアはけして突然変異ではなく、日本に古来から伝わるDNAからの隔世遺伝だったのではないか。それを感じ取ることが出来た大正時代の先駆者達の中には、例えば江戸川乱歩や谷崎潤一郎らがいた。彼らの作品を通じて、SMのクオリアはおぼろげながら人々の意識に広がっていったと想像されるのである。

  どうでもいいか、そんなこと。



【関連エントリー】


■ 伊藤晴雨

■ 須磨利之

■ 椋陽児




[ 2009/04/26 13:19 ] マゾヒズム概論序説 | トラックバック(-) | CM(4)


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