
「足コキ」なる風俗が、いつ頃から流行りだしたのかは定かではありませんが、紀元前の中国王朝で皇帝を楽しませるための手法だったという説が、纏足などの歴史資料に記されています。
遣唐使などから中国の文化を取り入れた当時の日本にも、この情報や風習が伝わっていた可能性はあります。
しかし、
平安時代に足フェチっぽい文化はあったにしろ、天皇が自分のチンポを女官に踏ませるといったところまでは、逝ってなかったような気がします。

日本における足フェチの代表者、谷崎潤一郎も、女性の足は舐めても、自分のペニスを踏んでもらおうという発想までしていたでしょうか。
足コキとまでは逝かなくとも、「女性が男性を踏む」というイメージに萌えを感じる嚆矢は、江戸時代にありました。
それをかろうじて伝えているように思えるのが、明治から昭和にかけて活躍した俳人・
高浜虚子のこの句です。
絵踏して生きのこりたる女かな 江戸幕府がキリスト教弾圧のために、信者とおぼしき容疑者に踏み絵をさせた。
女がイエス・キリストの絵や版画を踏む(中には悶えながら?)姿から、それを目撃した男たちになんらかの性的リビドーを与えていたであろうことは想像に難くありません。
*マリア像を踏ませた事例もあります。もちろん踏むのは男のキリシタン(^^) ま、それはおいといて。
女囚を効果的に拷問するために緊縛の技術が洗練され、男性サディズムが主流となっていく近代日本の歴史の中で、かすかにFemdomスタイルの、つまり男性マゾヒズムを刺激する文化・風俗の灯がここにありそうです。
西洋におけるSM文化発展の背景には、キリスト教の影響も大きく、日本でこの宗教が普及する過程の中においても、同様の精神的作用が始まっていたとしても不思議はない。
イエス・キリストに感情移入できた人は、将来的にマゾヒストの資質があった。
殉教者はある意味でマゾヒストだった。
崇拝するイエス・キリストのアイコンを踏むという行為が、神聖なるものへの冒涜という意識から屈折したサディズム、あるいはマゾヒズム的共感を呼び起こしたはずで、こうした史実などを知る江戸末期から明治にかけての政治家、クリスチャンや知識人などによって、SM的なるクオリアの萌芽が受け継がれていったのではないかとも想像されます。
そして文芸の世界で花鳥諷詠を唱えた高浜虚子が、女性の足にエロティシズムを感じることにためらいを感じながら巧みにキリスト教弾圧の歴史を利用し、己の隠された願望を俳句にして表現したのでした。
つまり高浜虚子は、女性に足コキをして欲しかった!
絵踏して生きのこりたる女かな この句は、その心の奥の叫び声として現代の我々の耳に鋭く響くのです。
高浜虚子は、いやその師匠である正岡子規も、自分のペニスを女性に踏んでもらいたいと心から願っていたに違いありません。
しかし、おそらくそれは実現されなかったのでしょう。
のちに桑原武夫は、足コキを第二の芸術として定義しましたが、それは認められませんでした。
そうした哀しい史実を知らない21世紀の若者たち、純粋無垢な彼ら彼女達が、足コキというかつて禁断の領域を出ることのなかったスタイルを、いともカジュアルに享受しているというのは、なんとも素晴しいことだと思われるのです。
手で触るのはキモいけど、足でならいいか、と思っている女子高生もいるらしい....
足コキの愛好家には包茎の人も多いらしい... (。。)☆\バキ
皮は剥かないでくらひゃい(>_<)
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全然関係ないんだけど....(^^)
