Whipping Mistress 2 から拝借した画像です。
この系統のイラストなら僕も随分と
収集&チェックしてきたのだけれど、これほど美術的にもきわめて高い水準にありながら、なおかつ「口に出すのも汚らわしい!」ファンタジーをも同時に喚起させてくれる作品には、SardaxやNanshakhなどの巨匠レベルをのぞいてはなかなかお目にかかれません。
いわゆる「お馬さんごっこ」は、「子どもじみた」という記号の陰に隠れて、サディズム&マゾヒズムの共通言語が、すなわち「支配と服従」というコンセプトがしっかりと組み込まれた大人の遊戯と言えます。
この魅力については、馬仙人さんの「
女性上位時代」に詳しいのでそちらをご覧頂くとして、今回はモノクロームへの思い入れについて触れてみたいと思います。
モノクロなのにこの画像はなんともフォトジェニックで美しく感じるのはなぜなのか。
恥ずかしい、あるいはウシロメタイ思い出というのは、けして色鮮やかなカラー映像ではありません。
僕の勝手な推測ですが、人間の感覚は脳に入力される時はカラーでも、記憶として処理される際にモノクロ化されているのはないでしょうか。
ここで紹介しているお馬さんごっこのイラストも、オリジナルはカラー作品でそれをデジタル的にモノトーン化したように見えます。
SM的なイメージは、カラーよりもモノクロの方が好まれるような気がします。
後ろ姿からも、ホンノリと感じることのできる女性の上品なサディズムが、色のない空や木々を背景に輝いて見える。
そこにあるのはモヤモヤした、それこそ
「口に出すのも汚らわしい」妄想や願望。
ギラギラした心の闇に隠れた欲望が、洗練されたスタイルで、巧みにクローズアップされる。
あたかも男のお尻につけられた尻尾のように、見る者の心に深く突き刺さるのに貢献しているのが、モノトーンの静かなインパクトなのです。
例えば、
Femdom Desires というサイトでは、元はカラー写真が白黒で紹介されます。
このサイトのキャプション:J
ust a collection of images that won't leave my mind... 拙訳 →:
「私の心から離れることのないイメージ集」 このサイトに、以前
僕が古いSM雑誌からスキャンしたカラー写真がモノクロームでアップされていたのを偶然見つけました。

心に残るイメージというのは、なんだかよくわかりませんが、とにかくモノクロのようです。

SMのコンテンツ自体がすでにドギツイので、モノトーン化されることで少しやわらかく、ファンタジーの領域をより広く、深めてくれている。
昔のSM雑誌では、女性緊縛ページは豪華なグラビア・カラーなのに、M男ものはたいてい白黒写真で扱いも小さかった(>_<)
そのようなオヤジくさい郷愁などもそそってくれるモノクロ画像の切なさが好きです。
ところで最近、 NHKで
「カラーでよみがえる東京」と、
「よみがえる色彩 激動の20世紀アーカイブ」という番組を立て続けに観ました。
昔の白黒フィルムにデジタル技術で色彩をつけるプロセスを紹介するとともに、カラー化された古い映像のいくつかを見せられたのですが、「色」の持つリアリティの力強さには、あらためて衝撃を受けてしまいました。

関東大震災の火事現場や、第二次大戦のナチの軍服など、モノクロ映像として認識していた過去の知識や古い情報が、カラー化によって「蘇る」、・・・というより、もっと別の新しい現実として印象づけられるといった感じです。

僕たちがリアルでみている現在進行形の光景はカラー映像であり、色のもつ現実感そのものは当たり前のことです。
しかし、カラーで記録する技術がなかった時代のモノクロ映像をカラーで見るということの意味は、
記憶としての遠い過去を、今ある現実かのごとく見つめ直すということになる。
それらの中には、本当は見たくなかった残酷な、厳しいものもあったかもしれない。
それはそれで意義のある再認識であり、カラー化作業の価値を讃えたいと思います。
SM的な体験というヤツも、記憶の中でモノクロ化されているからこそ、なんとか
救われるような気がしています。
心のメモリーから削除したいナ
ヤマシイ思い出もある。
戦争や災害など、あるいは失恋といった個人的につらい体験もあるでしょう。
でも消せない。
つらいけれど何度でも見たくなる不思議な魂の動画や妄想劇場が、8kのデジタルハイビジョン映像だったら、あまり楽しくないのかもしれない。
もどかしいけど、心ときめく。 モノクロの良さは、そういう曖昧性だと思う。

なぜか約1名に受けているお馬さんごっこの図。マイナス・イオンでてますか?




