
童話や絵本の挿し絵画家にFemdom アートを描かせたらいったいどうなるだろうか?
例えば
東逸子のような、極めてまっとうなイラストレーターが「毛皮を着たヴィーナス」にインスパイアされた作品をどのように表現するかは興味のつきないところではある。
特定のストーリーに沿った絵物語を描くのを得意とするアーティストであれば、子ども向けの童話だろうが、大人向けのファンタジーだろうが、造作もないことに思える。

しかしながら「毛皮を着たヴィーナス」の挿し絵ではなく、独立した「絵画作品」として観る時、それがFemdomアートの基本的な要件を満たしているかどうかは疑わしい。
Femdom アートを正しく鑑賞する者は、他の(ノーマルな)人が観ているのと同じようには観ない。
美術史的にこのことは全ての絵画作品にあてはまるが、Femdom アートの場合は特に際立って重要となる。
東逸子「蜜枷」

¥ 216,000 の値段がつけられており、既に売約済みだった
対象となる女性が魅力的に描かれていれば、ある鑑賞者にとってそれはもう Femdom アートになる。
上村松園の描く美人画でも、目的を達成できる鑑賞者はいるだろう。

ティツィアーノの絵画「鏡に向えるヴィーナス」は、マゾッホにはオナネタだったのだ。
向川貴晃のMIRAGEという作品では、背後にそのヴィーナスの絵を配置し、モデルに毛皮をまとわせて鞭を持たせている。頑張っているとは思うのだが、イマイチぴんとこない。
こちらは ¥438,000 ↓

向川貴晃 「MIRAGE」
極論を言わせてもらうなら、特に悩殺的なポーズも小道具も必要ないのである。

空山基のような大御所の作品であれば、下手な小細工などなくても、見ようによってはすべてがFemdomアートになってしまう。
¥ 1,080,000 !
↓

空山基 Untitle 1 それぞれに感性の異なるクリエイター達がマゾヒストの喜びそうな作品を描いてくれた。
「ザッヘル=マゾッホに捧ぐ作品展 」では、Femdom アートを定義する上で、形而上学的な試みがなされていたように思う。
この展示会のキュレーターは画廊のオーナーらしいが、既存の作品を集めたのでなく、わざわざこのテーマで各作家に描き下ろしてもらったのだとか。
(金子國義と空山基の一部作品を除く)

古川沙織 「Domina」(¥ 33,480 ) 中途半端なりにそれらしいキャスティングで「いかにも!」という作品もあったし、
思わず???となってしまうようなものまで玉石混淆。
芸術としてはさておいて、Femdomアートとしてはどうなのだろうか。
見えないもの、人間の心の奥に潜んだもっとドロドロした何かを描こうとする姿勢やコンセプトは普遍的な創作活動にも共通するのだが、特定のニーズを満たすために必要な要素が足りなかったり、欠けていたりすると、作品的には不完全(燃焼)とならざるを得ない。
まともな芸術表現よりは難しいのかもしれない。
逆に言うと、まともな感覚で真に感動的な Femdom アートは描けないのであろう。
ノーマルな視線からの企画そのものはよかったのだが、全体として物足りなさを感じた。
コミック作家の永野のりこも出品していたぐらいだから、たべ・こーじや暗藻ナイトなどにも声をかけて頂きたかったように思う。
あるいは昨年の院展で横山大観賞を受賞した國司華子氏に出品依頼をしてもよかった。
春川ナミオ画伯も出品してくれていればと悔やまれる。
■ 下手でもパワフルな Femdomアート
■ Femdom アートのファンタジー

■ ブルーノ・シュルツ 知られざる「近代マゾ絵画」の巨匠
■ かの春