前回記事は思いの外反響が大きく、コメントも多数寄せられていました。
この記事読まれた方は、
「やらせマゾからの脱却」というmugiさんの記事もぜひご覧下になって下さい。

マゾほど素敵な性癖はない! 一般的な意味においてSMプレイとはどういうものなのかを考えるよいきっかけになります。
mugiさんのご体験やプレイに一般性があるかどうかはともかくとして、ご自身の心境の変化が赤裸々に語られており、羨ましくなりました。
M男系ブログで、ここまで踏み込まれた内容の記事はこれまでなかったように思う。
そもそもSMに一般性などないわけで、好きなもの同士が好き勝手にやるだけの世界。
「観客のいない演劇」という名言もありましたが、
想定外の事態も容認するドキュメンタリー映画という捉え方もあるのでしょう。
いろいろな考え方、スタイルがあっていい。
僕はSMプレイをする時にはいつも、
「マゾとしてはビギナーですので」 お手柔らかにお願いします m(_ _)m
と言い続けてかれこれ30年以上が経過しておりますが、このウソがバレてしまうぐらいには経験は積んだのかもしれません。
しかしまだまだ素人の域を出ないというか、初めてSMプレイをした時からまったく成長していない。
ただ、精神的には少しだけ成長したような気がするのは、自分だけが満足するのではなく、お相手して下さっている女王様にも、満足までは難しくても、なるべくお楽しみ頂けるような努力をしてみたくなってきたことです。
この心境と変化というのは、突然出て来たわけでなくて、長期的で段階的なものです。
特にこのブログを始めてから、様々なM男氏や、女王様のナマの声を聞く機会が増え、少しずつですが、これまでの自分のマゾヒズムって、独善的でダメだよなぁ...などと感じたりしてきたわけです。
mugiさんの場合は、ある素晴らしい女王様との邂逅によって目覚めたというか、変わったというか、とにかくマゾヒズムという概念そのものが質的にも激的に進化されたようです。
しかし、突き詰めていくとマゾヒズムというものの性質上、行き着くところは、同じ場所なのかもしれません。
そこに到達できるかどうか、いや「到達」を望むかどうかも含めて、運命的なものという気がします。