
いつも著作権を無視しまくって、好き勝手にやっている僕がとやかく言える筋合いではないとは思いますが、一言申し上げたい。
例のオリンピックのエンブレムが、僕は盗用だと考えたくありません。
言われてみればなるほど、確かに似ているとは思います。
しかし、デザインの仕事は、昔からパクり(引用や模倣と言い換えてもいい)の世界だったし、ロゴのようにシンプルなつくりの場合、どこかで似ていると言われても仕方のない点が出てくるのは当然のことです。
玄人の専門家の誰か一人が気づいて「なんか似ているネ」というぐらいならともかく、ネット社会でこれだけ多くの一般大衆が騒ぎだすと、もう収拾がつかなくなります。
デザインの模倣性や類似性については、従来はわかる人にしかわからない、高度な次元の才能や感覚が必要でした。
ところが最近、画像検索という、以前はなかった新機能が普及しているタイミングが災いしました。
組織委員会の言う「国民が納得しない」というのは、「素人に説得できない」という意味でしょう。

マゾヒズムも素人さんには説明できない不可思議な領域がある いいものを真似してさらに一歩上のいいものを創り出す美意識が伝統的に日本にはあった。
わが国における商業デザインの先駆は浮世絵と言われています。
大衆への受けネライで大胆な構図や鮮やかな色彩のオリジナリティを競う一方、誰もが認める「いいネ!」的なデザインはどんどんパクられて、ポジティブに普及しました。
露骨に真似するのでなく、「いい感じ」で巧みに換骨奪胎する。
この当時は、西欧的なデザインの概念はなく「意匠」という、もっと抽象的な言葉が使われていました。
そもそもエンブレム(emblem)という言葉自体に「象徴」という意味があります。

このような歴史的背景もあり、デザインに関しては一番最初に誰が考えたのかという著作権意識ではなく、汎用性のある匿名という属性の方が強かったのです。
いい意味での引用や模倣のセンスに、芸術性が認められていた。
だから、似ているからどうのこうの言うのは、基本的にナンセンスだと思う。
逆に言うなら、似ていて当たり前で、間違い探しならぬ「模倣性」探しを行えば、必ず類似点は見つかります。
今回の一件では、あのアートディレクターの他の仕事での「不手際」が露呈して痛かった。
いい悪いは別にして、デザイナーやデジタル分野のクリエイターの脇の甘さは業界全体の問題でしょう。

例えばヒップホップ音楽の世界では、既存音源を再利用するサンプリングが一般化しています。
すでに文学やコミック、美術の世界でも引用の手法は多様に用いられている。
Twitterのリツイートのように大衆文化にも引用の、つまりパクリの概念が常態化しています。
言い方は不適切ですが、「パクリのセンス」にも、オリジナリティを認めてもよい段階に来ているのではないでしょうか。
その意味において、問題となっているオリンピックのロゴそのものは、いい仕事だったと思う。
オリジナリティを追求するのではなく、
既存のイメージや意匠をどのように解釈し、新しさを産み出すのか こういう知恵比べ的な感覚が、この世界のクリエイティブなセンスだと考えられます。
模倣の疑惑がもたれている佐野氏を有罪とみる世論を行き過ぎと思うのは僕だけでしょうか(>_<)
デザインの模倣だけでなく、コンセプトの類似性まで犯人探しをするとなるとキリがない。
あのエンブレムは、組織委員会がコンセプトも含めて採用したデザインだった節があります。
オリンピックとパラリンピックのコンセプトって何でしょう?
今回の事例が、国民の祭典であるオリンピックとパラリンピックを、もっと市民レベルの視線から盛り上げ、よいものにして行く機運につながって行くことを願っています。

マゾヒズムにも、ある象徴的なイメージがいくつもあります。
どの女王様もM男も、共通する普遍的なコンセプトでプレイを行う。
しかし、どのプレイにもオリジナリティは存在し、全く同じプレイが2度と再現されることはないのです。
どうでもいいか、そんなコト 絵文字というのか、昔よく使われていた跪いて土下座するイメージの記号があるでしょう →
orz なんとなく、アレからインスパイアされてこのロゴをデザイン、でなくてパクってみました。

皆さんのTwitterでどしどしリツイートして、拡散してくらひゃい(>_<)
特に顔面騎乗と関係ないですが、本来デザイン(やパクリ)には、このような説明責任は必要ないんだよね。