東日本大震災の年に、団鬼六さんは永眠されました(2011年5月6日)
生前の団氏と初めてお会いした時、基本的人権などないM男を相手に、まともに口をきいてくれるのだろうかと、今思えば、愚かな不安におののきながらお目にかかったのは10年前。
「最近は俺もマゾかもしれないんだ、よろしく頼む」 と、
茶目っ気たっぷりにご挨拶して下さったのが忘れられません。
これがなければ、
「春川ナミオ原画展」に
メッセージを寄稿してもらおうなんて厚かましい考えは生まれなかった。鬼はとても優しい人でした。
在りし日の団鬼六さんと(2006年)

SMの草創期、団鬼六の作品を読んでいない人でも、
SM = 団鬼六 という方程式だけは知っていた。 しかしほとんどの人は、この方程式の解がわかっていなかった。アップルの「全ての人にコンピュータを」という思想と同じようには、全てのフツーの人がSMという未知なるものを手にしたわけではない。今の若い人にはピンとこないと思うけど「団鬼六」という記号には、iPhone のりんごマークのようなアイコンとしてのド迫力だけが際立っており、そして、Appleとは真逆の不気味なオーラに包まれていたのです。
団鬼六の自伝
「SMに市民権は与えたのは私です」は、僕がSMクラブに逝きまくっていた1990年代に出版されました。一般用語としてのSMは比較的ポピュラーになってはいましたが、中途半端な趣味の世界ではない、というハードルの高さも、70年代〜80年代に団鬼六さんが拡散していた功罪です。SMは鬼のやること。鬼畜の世界だったのです。
この当時は依然として
男はSで当たり前。
緊縛された女性の羞恥がもてはやされ、
M男はグロテスク で存在そのものが否定されていた。
だから、その相手をする
女王様にも市民権はなかった。 団鬼六作品の映画に主演し「SMの女王」と言われた
谷ナオミもM女であり、
伊藤晴雨の時代から、この世界は
「S男M女」が主流で「S女M男」的なものは疎外されていました。(*参考エントリー:
女王様の地位向上の歴史)
しかし、
SMに市民権というコピーだけは一人歩きして、一般の素人男性にも「女性を縛ってみたい!」という願望に火がつき、そうした行為が密かに流行しました。縛られたがるM女性はいても、S女性はいなかった。
あくまでも
男目線 の市民権だったのです。
女性が男を縛るなどという文化はまだ遠い先の話でした。

ラシオラ出身の女王様が昨年出した写真集 男女雇用機会均等法が1985年に制定され、セクハラという言葉がこの頃から使われるようになりました。SM嬢を主題とする一般文芸作品として、1988年の
「トパーズ」(村上龍)、山田詠美の
「ひざまずいて足をお舐め」などが出版され、女王様がクローズアップされる時代の雰囲気が少しずつ盛り上がってきます。90年代のインターネットの普及も、SMのサブカルチャー化を促進し、ネットによるSMコミュニティ、コミュニケーション再編が始まろうとしていました。
折しもSMクラブが百花繚乱のように出現し、風俗産業の最底辺で「M男市場」がようやく活性化しつつはあった。しかし、未成熟で規制のかからない業界の中には、
気の弱いマゾヒストを搾取するような放置プレイも横行する。
ラシオラは、そんな時代に、1990年代の後半に登場しました。ラシオラが革新的だったのは、SMクラブの質的向上を目指し、女王様の意識レベルを高めるような運営をしていたことです。それまでとは全く異なるアプローチで、女王様に市民権を与えるような動きをしていました。
(ラシオラのSM 朝霧リエの思想と美学)ラシオラにはハイ・スペックなミストレスが集まり、高度なセッションが行われていた。

元イカ嬢の夕樹七瀬、ピンクリの瀬里奈や、赤星せいら(中野アダマス)など、ラシオラ出身の血統は誉れ高い「SMに市民権は与えたのは私です」が、今年になって再び文庫版で発売されたばかりです。
今回、特に注目したいのは、この本の解説文を、ラシオラの元・女王様だった早川舞さんが書いていることです。
「団鬼六」本の解説をSMクラブの元女王様が? 巨匠・団鬼六作品の解説文を担当するというのは、この世界では輝かしい栄誉。舞さんに白羽の矢が当たったのはとても喜ばしいことだし、心から祝福せずにはいられません。
ただ、この解説が全くフツーだったのには、やや違和感を抱きました。彼女を起用した出版サイドの思惑に、きちんと応えていないように読めた。「解説文」の解説をここでする必要などないのですが、この人選だからこそあえて、どこかで突出して欲しい。ヒネリと辛口のスパイスを利かせて、団鬼六をアヘアヘ言わせることが出来るのは、元女王様の彼女だけなのだから。

舞さんが女王様デビューした当時、SMの市民権の普及にともない、SM自体の価値観の多様化と細分化が同時多発的に発生していました。女装や同性愛なども含むその周辺の思想や感性に激的な変化のうねりが巻き起こっていた。SMクラブの女王様にも、多様性が認められる過渡期とも重なります。舞さんはひょっとすると、ラシオラ時代には苦労していたのかもしれません。純正S女ではなかったからか、真性M男の期待に応えるべきセッションでの評判があまりよくなかった。ラシオラにはそういうドミナも多かったので、うまくやっていけるんじゃないかなと思っていました。初期はともかくとして、ラシオラにはごくフツーの女性も多く在籍していたし、今もいる。そのこともSMの市民権を象徴しているように思えます。
早川舞さんは美人だし、知性豊かで人がらも良い。
朝霧リエのDNAを正統に受け継ぐ、カリスマ女王様として君臨する可能性もありました。
しかし当時のラシオラのドミナの中では、アイドル系の立ち位置で、実像とのギャップにコンフリクトが発生していたのかもしれない。等身大のアイドルみたいな女王様像を求めるM男も現れ、マゾヒズムの質も変化していた。

SMがビジネスとしての市民権を得たのであれば、そういう変化にも対応しなければ、マーケティング的に問題やトラブルが発生する。舞さんは自分のSM観と市場原理との落差に悩み、葛藤していたのでしょうか、彼女のシフトは徐々に減り、いつの間にかラシオラのアルバムから消えていました。
「いつまでもいると思うな女王様」 by 更科青色 舞さんが「SMに市民権はあっても、女王様にはない」と思ったかどうかわかりません。「元」女王様という肩書きを武器に、フツーの世界への道を選んだ。それは賢い選択だったろうし、結果的に成功していると思います。
もしかしたら、とんがった解説文を書きたい野心があって、それが出来るのに平凡な「解説文」に落とし込んだ。そう考えるならばおそらく、元SMの女王様としてでなく、フツーのライターとしての判断だったのでしょう。知識としては昔ながらの、古き良き時代の趣をかろうじて理解し、なおかつ新世代のSM観も肌で感じていた。
団鬼六さんの言う「市民権」とは、文芸ジャンルで、SM系コンテンツが新潮社から出版されたり、婦人公論に載ることを意味していた。本当にSMが市民権を得たと言えるためには、フツーの人々がSMをやらなければならない。舞さんはどちらかというと、フツーの女性だったように思う。
僕らの世代の異端者がこの本を買うのでなく、平成生まれのフツーな人たちが初めて読むのには、この解説でいい。
今やSMはマニアックな倒錯世界でなく、サブカルチャーの王道をいくコンテンツに成長しました。その是非はともかくとして、未成年を含むほとんど全ての人が、SMというツールを手にすることができます。
おかたい学問をしている女子大生が、見ず知らずのおじさんに顔面騎乗を無邪気にする時代。
元女王様が書くからといって無理に突出する必要はなかった。団鬼六作品の解説を書いたという快挙に喜び、勝手に筋違いな期待をしてしまっていたけれど、団鬼六を知らずに初めてこの本を手にするフツーの人たちには、わかりやすいナビゲーションになっている。
SMのユーザー意識が変わろうとする時代の分岐点で立ち止まり、模索したであろう舞さんらしい筆致は、SMの表現者としての伝統を引き継ぎ、次世代に適確なメッセージを伝えている。
ほとんど今では失われてしまったかのように僕にも感じる「SMの情趣」への、道しるべとしての役割は果たしています。この解説を読んで、本当に喜んでいるのは、天国の団鬼六さんでしょう。
彼女の執筆したコラムが、週間新潮や婦人公論に掲載される日もそう遠くないかもしれない。
早川舞さんには、これをきっかけとして、もっと大きく飛躍して欲しいと願っています。

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