
映画
「沈黙」を観てきました。
高校時代に遠藤周作の原作を読んでいましたが、好みのタイプの作品ではありませんでした。
「神様なんていないんだよ」といったようなお話で、救いがない。
この映画を観て、昔アメリカでベストセラーになった有名な絵本「かみさまへのてがみ」を思い出しました。
世界中の子どもたちが神様宛に書いた手紙のコレクションで、原書にはない葉祥明のイラストと谷川俊太郎の訳が実に素晴らしかった。
例えばこんなのがあります。
かみさま あなたって ほんとに いるの?
そうは おもってないひとたちも いるわ
もし ほんとにいるんなら
すぐに どうにか したほうが いいわよ
ハリエット・アン 谷川俊太郎・訳(サンリオ刊) 大人になってしまうと、考えもつかない、言えないような迫真の表現の数々。
谷川俊太郎の訳も
ネリリし、
キルルし、
ハララしている!
もし しんだあと いきるんなら
どうしてにんげんは しななきゃ いけないの? スコセッシ監督がこの絵本を知っていたかどうかわかりませんが、テーマに深く関わってくる問いかけです。
もう一つ、「マゾ花」的に考えさせられたことがあります。
踏み絵を踏まされるシーンが何度も出てくるのですが、本心では「したくない」ことを「やらされる」感には、それがどんな行為であれ、なんとなくマゾヒスムに通じる部分があるような気がするのです。

マゾヒスムの古典的な、そして有名な解説に、被虐者が自己防衛のために用いる精神的なシステムとして発達したというのがあります。
まるで宗教のように女王様を崇拝するマゾヒスムには、お許しを乞うという行いに、キリスト教との共通項があるように思われます。
僕は神様は信じていないですが、女神様は信じてみたい。
それが菩薩観音でもなんでもいい。
女王様は、最終的には僕のことを裏切らない。
そんな妄想を抱いているわけですが、何か問題ありましたでしょうか?、
裏切られてもなおかつ萌えるマゾヒスム。
本日も「マゾ花」にお越し頂きまして、ありがとうございます。
いけないぼくのことを しかってくれる
じょうおうさまは ほんとうに いるのかな
あしや おしりで ふんでくれるかな?