
先日、
言葉フェチについて書きましたが、本来のフェティシズムの意味として、ある特定の「物体」を神聖視するには、そのモノの背後にある神性、つまり女王様の存在感があります。
さて、言葉はモノではありません。つまり目に見えない。
しかし、やはりそれを発する声の主である人間性が大切。
大切なモノは目に見えない。
僕は恥ずかしがり屋さんなので、生身の女性とうまく向き合えず、彼女に関連する物体へと意識が向ってしまいます。逝けないコトと知りつつ、彼女のパンティーを頭に被って志麻ウマ。よくありがちな、靴や下着へのフェティシズムは、それを身につける女性へのコダワリが前提としてある(ように思う)
直接ナマの女性を舐めるのは恥ずかしいから、ビニール越しに舐めるM男?

これぞ正統派?ビニールマゾ!もの凄い屈折率だ!
しかし、純粋にその
モノ「そのもの」への愛も、フェティッシュな感覚としてあります。
「女神の愛」のパブリシティにも貢献している
Mohair_Man というマゾの方のツイートを最近何気なく見ていて思いました。

エナメルやビザールでなく、毛糸で全身ボンデージされるMohair_Man ゴムとか、エナメルフェチとか、素材の質感へのコダワリというのは理解できるのですが、モヘアフェチというのは初耳だった。
この人は以前から「女神の愛」でコラムを連載していたが、全然興味なかったので、ほとんど読んでいませんでした

ミイラプレイにも似ているよね マゾッホのような毛皮フェチともテイストが異なるみたいな。
僕は北国育ちなんですけど、子どものころからウールや毛糸のセーターは、あのチクチクした感じが嫌いであまり着ませんでした。
だからとって別にどうのこうの言うつもりもないけれど、その「チクチク感」が嫌だから、
「無理矢理女王様に着せられちゃって萌え〜」 ・・・と、いうのはあるのかもしれない。
針や黄金のように、
絶対に無理(>_<) というのと違い、
まあ許容範囲内の「イヤいや」感を強制されるのは、マゾヒスムの王道でしょう。
だけど、その着せられるセーターなり、ウール素材の服は、女王様のものか、一度その女王様が身につけた服であって欲しいのですが、何か間違ってますでしょうか?

ルブタンのハイヒールといえども、誰も履いたことのないものには、興奮しない。

憧れのあの女性が履いた(出来れば直後)のであれば、
ウハーとなる。

でも、本当はナマの脚を舐めたいんですが、何か問題ありますでしょうか?
本日もマゾ花にお越し頂きまして、ありがとうございます。
それにしまして、今さらながら、フェチの世界は奥が深いよ。
鞭フェチM男さんも、鞭への強烈な愛が感じられるし、フェチの王道を極めているマゾは尊敬に値します。
Mohair_Manさんのプロフィールにはこうあります。
モヘアで全身を包まれて拘束、緊縛される事に最大の喜びを感じるモヘアマゾです。 モヘアマゾというのも初めて聞いたけど、全然理解できないんですが〜(笑)
でも、なんかホッコリして、いい感じです。