
もちろん、大人が今これをやればセクハラどころか犯罪です。
しかし、昔はほっこり行われていた時代もあったような気がする・・・
今どきの子どもたちは、スカートめくりをしないらしい。
もし可能だとして、やったならば、どうなることだろう?
ラインやTwitterでつるし上げにされ、自殺に追い込まれるのだろうか?
その前に、めくられた女の子が自殺してしまう可能性もあるカモ鴨川。
今だから正直に告白しますと、何十年も昔に僕は
スカートめくりをしてました! ごめんなさい(>_<)
だけど、本当に好きだった女の子にだけは出来なかった。
大人になってから同窓会で再会した時、その子に
「どうして私だけめくってくれなかったの?」 と言われて戸惑った。
「本当はめくって欲しかったの!」と、カミングアウトされてしまったのです。
ショーガクセイといえども、複雑な乙女心があり、それは大人でもムズカシイ問題ですが、ざっくばらんに言えば、好きな人からなら、ナニされても嬉しいマゾヒズムにも似た感情もありえるわけで・・・
もちろん、嫌がっている女の子もいたし、基本的にこれは嫌がらせであるのは明白な事実。
そういう嫌がらせをして、あるいはされて楽しむことができるのは、子どもの無邪気な心のなせるわざなのだろうか。
同様なことはサディスティックな気持ちに言えて、僕には出来なかったけど、好きな子に集中的にスカートめくりをして泣かしてしまうツワモノ男子もいた。こうなってくるとセクハラになるかもしれない。

先日、セクハラ告発関連のムーブメントに対して、女優の
カトリーヌ・ドヌーブが逆向きの発言をして物議を醸していましたが、なぜか僕はスカートめくりのことを思い出しました。
スカートめくりが、不器用な男の子による愛のアプローチだとまでは言わない。
ただ、子どものエッチな「嫌がらせ」には、混沌とした思いがあるような気はする。
そしてそれは、大人になっても引きずってしまうものなのかもしれない。
カトリーヌ・ドヌーブは半ば無邪気に「男が言い寄るのは性犯罪ではない」と言う。
嫌いな男に口説かれたからといって、セクハラだと騒ぐのは、如何なものか。
女性にとってはそれも勲章だろうし、男を振って女を上げる。
振られた男も、それが勲章にはならなくとも、願わくば、男が磨かれた「経験値」としてカウントされて欲しい。
振り向いてくれなかった彼女に逆切れし、ストーカー行為に逝ってしまうようなアホバカ男子はなぜ増えたのか。
それが問題の本質(の一つ)だと思うのですが、何か間違ってますでしょうか?
チカンとか性的嫌がらせは問題ですが、善意のアプローチとどう見分けたらよいのか。
「好きだよ」と言えないから、お尻を触る(ボンとたたく)のは、今では犯罪だし、嫌がる人に執拗に続けるのは悪質で許されることではない。
しかしそれで傷ついたということを声高に主張し、共有することで、何かが改善されるのだろうか?
ストーカー殺人のような悲惨な事件がなくなる?
小さな、とりとめもないような経験も、人によっては深刻なトラウマとなって、心の傷として残る。
だがそれは、避けて通れることのできない人生の道であり、どんなに迂回をしても、似たような落とし穴はどこにでもある。
それが思いがけず相手を傷つけたり、傷つけられてしまったりという悲しいものであっても、冷静に受けとめ、勲章にしてしまう勇気と余裕があればいいのになぁとも思う。
なるべくなら傷つかないで生きて逝ければ楽しいけれど、そんなことは無理だし、自分だって誰かを傷つけずにいられるかが問題。
そういうこともあるカモ鴨川〜(>_<)と思って、心の準備をしておかないと、ある時、突然飛躍してしまう。
ショーガクセー時代からスカートめくりをやって、好きな女の子から引っぱたかれるような実体験を積めとは言わないが、妄想だけの疑似恋愛だけで頭がてんこ盛りになってくると、気がつかないところで性犯罪を犯してしまうリスクが高まるような気がする。
これも時効なので今だから言うと、僕はスカートをめくるだけでなく
スカートの中に頭を突っ込む という離れ業もやってましたが、何か間違ってましたでしょうか? (。。)☆\バキ

おかげさまで、絶対に秘密の某場所で、こういう犯罪のような、もしかしたらセクハラのような行為を、誰にも迷惑をかけないようにして楽しめる心のゆとりを得ることが出来ました。
それを可能にしてくれたSMクラブの女王様たちには、心から感謝しています。
本当にどうもありがとうございます m(_ _)m