
アメリカン・フットボール(NFL)にゾーン・ディフェンスという作戦というかフォーメーションがあって、ロングパスを警戒しつつも近場のランプレイにも備えるという守備範囲の広い戦略があります。
それから野球でも「ストライク・ゾーン」などと言いますが、この「ゾーン」という言葉は、スポーツ関係の他ではあまり耳にしませんね。
ふと思い出したのは、昔の海外ドラマ「フレンズ」に出てくる英会話で「friend zone」という表現があり、恋人や愛人にはなれないけど、「よいお友達」にはなれそうな人間関係で使う。
昭和の時代は告白してふられる時の常套句でしたが、その真意は「どうでも
いいお友だち」であることが多いようです。
今回は、「ゾーン」という言葉・表現に注目してみたい。

何かと便利な「お友達ゾーン」の関係性は、仕事関係とも微妙にかぶる領域があるように思います。
SMにおいては、日常的に深い主従関係はなくとも、セッションの時だけに限定して「主従ゾーン」に入るというのはよくあります。
あるいは、プレイはしたことないけれども、SMバーなどでプロの女王様(元プロも)と対面でお話する時などに、「局地的な主従ゾーン」に入ります。
有名女王様で近寄りがたいオーラが感じられる時、こちらはそのゾーンの周辺エリアで匍匐前進している。

前進しようか?撤退すべきか(>_<) 突撃したら玉砕するかも(>_<)(>_<)(>_<)
あまり仰々しい敬語は使えないけれど、こちらも「おおせのままに」とか、「かしこまりました」なんていう、普段は使ってない語彙を、恐るおそる使ってみたりして、まぁ楽しめます。
すると、たまに瞬間的な言葉責めが降り注いだりして
*まれに顔面騎乗とか ← ないって (。。)☆\バキ
カウンター越しに、突然ネクタイを引っぱられ、「アゴクイ」ぐらいは(好意的に)されたりします。

こういう時に当意即妙なやりとりが出来るかどうかで、主従ゾーンの範囲や密度、空気感が決まってくる。
つまりコミュニケーションのクオリティが決まる。
言うまでもないことですが、会話は一歩通行ではダメで、相手の言うことを受け入れることが大切。
それは必ずしも同意することを意味せず、あからさまに否定もしないけれど、敬意をこめて受け流したりする。
メッセージの本質や結論が、ゾーンに浮遊している状態だとも言えるでしょう。
今、ふと唐突に思いついたような表現ですが、こういう「
ゾーン意識」みたいなものが、なめらかなコミュニケーションを成立させるのに大切ではないかなと、思ったりしました。
身も蓋もない言い方をするなら、曖昧にしたままにしておく。
アメフトのゾーン・ディフェンスではないけれど、どっちつかずのユルい状況で、ポジティブな言い方だと様子見ですが、なかなか高度なスキルではないかと。
理不尽な出来事や、意味不明な人の行為に対して、ピンポイントな悪意や憎悪でなく、ゾーン悪意(憎悪)で対応できれば、衝突やコンフリクトのリスクが軽減するのではないでしょうか。

先日、北朝鮮と韓国の首脳会談が話題になってました。
あえて「何が」とは言いませんが(コレこそゾーン意識)、日米や日韓、あるいは米朝関係、日ソやイギリスとEUなど、様々な国際政治関係でも、こうしたゾーン意識が高度に作用している。問題が緩やかに持続する限りにおいて、解決はしない代わりに、破綻や決裂もない。どちらも先送り。
SMプレイにおいても、マゾの言いなりになるのを嫌う女王様が、それなりの自己主張をしつつ、いかにマゾの矛盾した快楽に対応するかにしのぎを削る場面で、宙吊り状態を持続させるのは、無意識にもこのゾーンに入り込んでいるような気がするのですが、何か間違ってますでしょうか?
SMが知的遊戯と言われるのは、高度に政治的な哲学が利用される面もあるからで、そこのところがネ、な〜んかネ。イヤラシイと言えば、いやらしい。あんまり気持ちよくないというか、なんというか。
しかし、よいSMには、妄想や幻想はあっても、嘘はない。
ゾーンが異なるだけです。

みんなの大好きな「絶対ゾーン(領域)」 SMのセッションにおいては、両者の異なるゾーンが重なる時が、少なからずある。
あるいは、微調整しながら重なりあうようにお互いが意識する。
純真な気持ちで素直に、裸の声でコミュニケーションできた時の感動があるから素晴らしい。
【関連してるかもしれないエントリー】
■ 会話のキャッチボールが大切だと思う