マゾとしての愛読書といえば、
「毛皮を着たヴィーナス」とか「
痴人の愛」、または「
家畜人ヤプー」などが有名です。
しかし、イキナリこれらを読んでマゾになれるかというのも、極端なハナシで(そういう方々もいらっしゃるのでしょうが)、多くの場合、人それぞれの小さな伏線なり、微妙なきっかけがあるものです。幼少時の体験や漫画本、テレビ番組(時代劇の拷問・緊縛シーンやヒーローもの女性隊員のコスチュームとか)が引き金になっていたりする。
僕は自殺を考えるほど深刻な虐待は未経験ですが、フツーに「
不健全な」イジメの体験は度々あっただろうし、実際、愛に飢える孤独な少年時代を過ごしていた。
マゾに目覚める直接のきっかけもいろいろとあったように思いますが、愛読書と言えば、まず最初(10歳〜?ぐらいの頃)に出合ったのが、いわゆる単行本としては手塚治虫の
「アポロの歌」でした。主人公の近石昭吾少年には凄く共感するものがあった。

しかしそれより以前、大人向け週刊誌のちょっとエッチなマンガ作品にも影響を受けており、それらは漠然とした曖昧な印象しか残ってないのだけれども、小島功、あるいは清水崑のカッパ女絵図だったと思う。
まだ愛もSMも知らなかった僕は、たんなる女体のフォルム・フェチだった。

妖怪関係もごく健全に?大好きな少年時代を過ごしていた僕は、それとは全く別の文脈で、エロティック・コミックの元祖的な作品群に幼少時出合っていた。それらの主なコンテンツは、親が所有していたり、盆暮れに親戚筋の家で遭遇していた。偶発的に目撃したそれを、もちろん当時は自分の所有物にすることが出来ず、内容的にそれらが何であるかもわからないまま、おさな心に胸をときめかしていました。

いったいナニに胸キュンしていたのか?
平成も終わろうとしている今風の感覚からすると、ちょっと古くさくて、歪な女性礼賛的モードなるものでした。
絶対に男尊女卑ではなかったけれど、女尊男卑でもない。
セックスはもちろん、まだオナニーも知らない年頃の僕が感じていたのは、明らかに性的なものではありました。
恋愛を実体験する以前から、フェティッシュな愛を擬似的に体験するような感覚です。
本当の愛を知らないのに、愛に飢えていた、な〜んちゃって(>_<)
文豪ゲーテが、幼友達の少女の靴下を履くシーンを目撃して、その脚に目が釘付けとなり興奮したように、僕は、女性のカッパに「萌え」ていたのかもしれない。

メインキャラの焼野矢八(やけっぱち)はアポロの歌の近石昭吾にソックリな気がする 手塚治虫の
「やけっぱちのマリア」を読んだ時、マリアのボディラインに、カッパ絵と同じような身体の柔らかいフォルムにモワモワしたものを感じたのを覚えています。そのマリアとは、実態はダッチワイフという(今もあるのでしょうか?)エナメルのようにマテリアルなテイストを持つ皮膚感覚です。この作品のストーリーは、魂(エクトプラズム)が人形に乗り移ってマリアとなり、ちょっとエッチでナンセンスなコメディが展開されるという、僕に言わせれば、ほとんど健全なエロマンガでしたが、どこかの教育委員会から有害図書に指定された問題作でした。
何が言いたいかというと、僕のマゾヒズムを決定づけた一つの大きな要因に、手塚治虫があり、その手塚が模倣しようとしていた小島功の手になるデフォルメされた女性美ラインの影響を、期せずして僕も受けていたということです。

小島が先か手塚が先かはともかくとして(この二人は同じ昭和3年生まれで、同時代に活躍した)漫画のコマの中に見える「女性美」に惹きつけられる体験は、まぎれもなくフェティッシュな原体験でした。
1960年代後半から70年代初めの頃で、ハレンチ学園や安保闘争の時代です。
(↑どういうくくりやねん)
時を同じくして永井豪やジョージ秋山の作品群にも出会い、運命的に「奇譚クラブ」という古本雑誌も中 学生になってから入手。文学的、絵画的、そして、あえてかっこつけて言うならば芸術的にSMというカテゴリーの中で、僕の魂は突然変異する。
そして、一番多感な青春時代に、谷崎やマゾッホの作品を溺愛するようになってしまった。
自分でもわかりやすく整理して綴ってみたものの、それほど単純なものではない。
もっと複雑で、ドロドロしているものだと思いますが、不思議と漫画やコミックという媒体による原体験があればこそ、心理的にもデフォルメされて、自分の内面を客観視することが容易となるような気がします。
少年時代からマゾヒズムを意識していましたが、還暦間近になってくると、自分は本当にマゾだったのか?と思い返すようにもなりました。ノーマルとは言えないまでも、言うほどマゾでもなかったかもしれない・・・それを恥じているわけでもなく、誇りというのも妙な感覚ですが、すこし安堵している自分。
ただ、愛に飢えた恥ずかしがり屋さんのヘンタイであるのは、疑いのない事実です。
そういった気持ちや感覚を、自然と共有できそうなのは、おそらく同年代以上の、ご年配のマゾパイセン達だと思われるのです。
今回のエントリーが、そんな方々に懐かしく感じて頂ければ幸いです(>_<)
「アポロの歌」冒頭シーン!

こいつら、みんな精子だから(>_<) 健全なる性倒錯・LGBT作品
「リボンの騎士」