
みんなそれぞれの嗜好があって、コダワリがあって、それらを追求し、戸惑い、あきらめたりする。
満足できないとしても、こだわることへの妥協はせず、ワガママに我が道を逝く。
そうやって俺は、俺の願望や倒錯にケジメとつけてきた(と思うのです)
年齢や体力というより、気持ちの問題かもしれないけれど、昔ほど貪欲にはなれなくて、言い換えれば、ユルくても、そこそこ満足できたりするのが不思議だ。
最近頂いた秘密コメントに
「homerさんみたいにゆるーい感じでいきたいのですが・・・」というのがあって、「俺ってユルいのかな?」と、少し驚いた。
少なくとも、ユルく見られているらしい。
まぁ、確かにガツガツはしてないとは思うけど、SMに関してはガチで、とことん本気でやってきた(と思う)
別にプロじゃないし、射精管理とかもされたことなく、凄いことはなに一つやってない。
念のために申し上げておくと、鞭で打たれたことはあるし、吊られたこともあるんだ!
・・・別に凄くネ〜か(>_<) 恥ずかしい気持ちであっても、イイカゲンな気持ちでは、絶対になかった。
自分だけの世界に引き蘢って、誰とも共有はできない「俺のマゾヒズム」を、俺は大切にしてきたんだ。
だけど、どこか中途半端なところがあったのも事実で、「やってられネ〜よ!」と思うことも、たまにある。
そういうのって、別にSMだけに限らない。
人生の至るところで、仕事でもプライベートでも、本気でやってるのに、様々な局面で、ユルくならないと切り抜けられない時がある。
頑張っても無駄なことも、ある。
頑張らなくても、なんとかかんとか、なったりもする。
SMプレイは、いくら真剣にやっても、頑張れない時がある。
「やってられネ〜よ!」と一瞬思っても、お相手してくれている女王様が真剣だから、それは言えない。
ホントは正直、嫌なんだけど、頑張ってみる。
SMの醍醐味って、そういうところにあるように思う。

最近、街には俺が溢れている。オレオレなんたらではない。
自撮りカルチャーも、俺という自意識の拡散のように思える。
俺にとって、俺の存在は他者でもあるようだ。
しかし、本当の他者との邂逅によってのみ、俺の存在が、はっきりと見えてくる。
相手に寄り添い、寄り添われる。
たとえ茶番劇の中であっても、支配され服従することにより「己の消滅」を疑似的に体験できる。
それによって、愚かな俺を見つめる、賢い俺が、登場してくれるだろうか?
本当の自分って、いったいどこにいる?
全ては心の問題なのかもしれない。
俺のマゾヒズムには、俺にしかわからない気づきがり、自己啓発のきっかけを、俺に与えてくれている。
ど〜でもいいか、そんなこと(>_<)