
恥の多い生涯を送ってきました。
最近、残された時間をどう使うか?というようなことを漠然と考えるようになりました。
誰もが持つ、普遍的な財産とも言えるべきものが、時間だと思うからです。
ではその「財産」の価値を決めるものは何なのでしょう?
時給単価のように、計算出来るようなものではありませんが、敢えて大雑把に言うなら、その質的価値、つまり心の平穏な様子の長さ、幸福と感じられる状態の持続性、環境、周囲との関係性とかなんやかや混沌も含めて曖昧な概念世界に、査定されるであろう要素がありそうです。
僕は顔面騎乗されている時、無意識に、瞬間的にこのようなコトを考えていました。
錯覚とも夢とも言えない不思議な感覚に覆われるのです。
そもそも、顔面騎乗そのものが、僕の夢なのでした。
ところで、顔面騎乗されることを夢見てから、かれこれ50年以上を逝きてきたわけですが、やってもやっても、いくら女王様にたっぷりして頂いても、まだまだ、道半ばという気がしています。
満足していないというわけではなくて、これまでに素晴らしい女王様と出会い、素晴らしい顔面騎乗を何度も経験してきました。
顔面騎乗されている時は、「苦しいけれど楽しい」といった、まさに苦痛と快楽というSMの鉄板メニューを味わっているわけで、贅沢な経験をこれまでにさせて頂いたことには、本当に感謝しています。
だから、そのお礼にと、女王様にも気持ちよくなって頂きたいという願いを込めて、「ご奉仕」というかたちで実現したいと思うのは、イヤらしい願望のようでいて、実に素直な気持ちの現れなのです。
女王様のほうからも、「私のことも気持ちよくさせて頂戴!」と、光栄なリクエストを頂きます。
この言葉は、顔面騎乗をされているマゾヒストにとっては勲章のように響きます。
若い頃は、窒息させられるほどの苦しい顔面騎乗に憧れていたものですが、最近はやはり呼吸のできる状態で、楽といってはおこがましいですけれど、比較的快適というのか、イマ風の表現でいうなら、
「持続可能」な顔面騎乗をさせて頂いております。
英語で言うと
Sustainable
Desire
Goal
s *この場合、顔面騎乗を願望(Desire)という意味にさせていただいております。
(どうでもいいか、そんなコト)

現代において全人類に共有されるべき
SDGs というキーワードを、顔面騎乗に適用します。
持続可能であればこそ、少しは冷静に、思考能力も(無いなりに、それなりに)研ぎ澄まされていき、いかにして女王様に気持ちよくなって頂けるかを分析、判断して、実行する機会も充実する。
還暦を過ぎた今となっっては、若い頃のような
がむしゃらな欲望や闇雲な妄想に走ることもなく、本当の意味で、女王様に喜んで頂けることを目標にフォーカスできるようになった気がしています。
それがきちんと実現されているかどうかは怪しい部分があるにはせよ、気持ち的にはこちら側の誠意をご理解頂けているように感じる今日この頃です。
人類共通の財産である時間とは、自分だけのものではなく、周りの人々とも共有されている。
そういう当たり前のことが、普段はあまり意識の上に現れてきません。
僕の場合、顔面騎乗されている時に、そういう大切なことが明確に意識化される。
そういう意味で、顔面騎乗されている時間が、僕の財産になる。
春川ナミオさんは、女性のお尻の下で往生できたら最高!と仰っていましたが、同感です。
顔面騎乗されることによって、僕は生かされているんだ! と、つくづく思う。 ガチで真剣にそう感じている。
そして不本意ながら、顔面騎乗されて、逝かさせれしまう (。。)☆\バキ
周辺の人、特に女王様に幸福になって頂きたいし、それに自分が少しでも貢献できていることが、僕自身の幸福にも繋がっていけるように、残りの人生を生きて逝きたいと願っております。
そのために、残り少ない人生を充実させるためにも、死なない程度の顔面騎乗をこれからもよろしくお願いします。
【究極の持続可能顔面騎乗プレイ!】 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓■ 愛のおめグミ調教 *女王様のお尻にお菓子のグミを突っ込んでもらってそれをマゾの舌を伸ばして頂くというプレイ
僕が考案したと思ってましたが、意外と有名?
ありがちなプレイだったということが後日判明しまスた(>_<)
■ よくわかる顔面騎乗
■ 顔面騎乗の起源と歴史 意外と新しい顔面騎乗の歴史
■ 高貴な顔面騎乗 懐かしのMビデオ(>_<)
■ 春川さんの世界観を見事に現した映像美
■ 羞恥心について 昔は顔面騎乗という言葉さえ言えなかったのに... 2011年8月16日