新春シリーズ企画「俺の女王様」の途中だが、閑話休題。
今回は、外国でのSM体験について書いてみたい。
コロナ禍を棚上げにすれば、海外旅行のついでにSMプレイも気楽に出来るぐらいには、身近になっている時代かもしれないが、それでもハードルは高いと思う。
まず言葉の壁が浮かび上がる。
国内でもまだ、それほど気軽にはやれない観も残っているSMプレイ。これはある意味で究極の
異文化交流の場といえるだろう。
しかし、政治や経済ならいざ知らず、
SMに国境はないと思っている。
当時の俺はそう信じていた。(今もだが)
20代の後半、俺は、アメリカ合衆国のSMクラブで、ブロンドの白人女性とプレイした。

今はもうないが、ニューヨークのマンハッタンに、
Nutcracker Suite という高級SMクラブがあり、そこの看板ミストレス
Deprava さんのお世話になった。
当時の俺は、英検準1級、TOEIC スコア 760点〜ぐらいで、日常英会話なら中・上級と言えなくはないものの、この程度で、外国のSMクラブを訪ねるのは、無謀に思えた。
しかし、俺は「家畜人ヤプー」を愛読していた老舗のマゾということもあり、敢えてレトロな言い方をするなら、どうしても金髪のべっぴんさんに跪いて、美しく長い脚にキスをしてみたいという、昔からの強烈な夢を叶えてみたかった。

そんな不純な動機で、英語の勉強にしても、就寝前に眠い目をこすりながら、やさしくもない「やさしいビジネス英語」などのNHKラジオ講座を聞き、TIME誌を読み、ヒアリング・マラソンという通信講座を申し込み、街の英会話スクールにも毎週通い、地道にコツコツと勉強していたものだ。
幸いなことに仕事で海外との折衝や、来日する外国人ゲストの接遇などの機会にも恵まれた。
いつかは金髪美人の足下にひれ伏して、ご奉仕するのだという願望を抱きながら、国際的なイベントで米国人や英国紳士を、桂離宮や清水寺へご案内し、通訳なしで英語のおもてなしをするという実践経験を積んだ。
外国人の「接待」や「接遇」という行為は、将来的には外国でのSMプレイで女王様をおもてなしするための
Preparation だと考えていた。
文字通り「奉仕」とは「
おもてなし」であることを、こうした体験から俺は学んだ。
舐めるのはお尻だけでなく、知性や教養も舐めていなければ、マゾとしてのミッションは成し遂げられない。
そして、ある目的を達成するためには、利他的な奉仕精神が求められる時がある。
SMのセッションにおいては、母国語でも外国語でも、グローバルなコミュニケーション能力が重要な鍵となる。
そのためには、あらゆる自己啓発が役に立つ。
他のことでは、それほどまでにして情熱を傾けることはなかったのに、SMに関してだけは、やった。
海外でのSMプレイという野望実現のために。
貯金もたまり、すでに予算面では実行可能だったが、精神面と語学力の点で今ひとつ踏み切れないでいた。
就職し社会人となって6年。8回目のTOEIC受験で初めて800点を超えたのを根拠に、これで海外でSMプレイができる!という、ささやかな自信を得て、パスポートを取得した。
目指す国は英国でもオランダでも、あるいはドイツやスゥエーデンでもよかったのかもしれないが、とりあえず「まっとうな英語圏」という基準でアメリカを選んだ。
大学で俺は、演劇を専攻していて、シェークスピアを原書で読んだりしていたが、本来「まっとうな」という枕詞にふさわしいのは
クイーンズ・English かもしれない。
しかし、付け焼き刃のブロークンな英会話なら、
USAのほうが比較的通じやすいと思った。
その一方で、歴史や文化的観点からは、
Female Domination や
BDSM の本場はヨーロッパという印象を持っていた。また、マゾッホやジル・ドゥルーズの著書も読んでいたので、東欧というオプションも考えた。
しかし、いろいろ考え、悩んではみたものの、例えば日本のSMクラブで言うならば、大阪か東京かの選択肢のようなもので、最終的にはどちらでも構わないように思えた。
たまたま別の理由でニューヨークへ行く用事もあって、アメリカにした。
俺は戦後生まれだが、敗戦国民として戦勝国の女王様に支配されるという
ねじまがったような倒錯も捨てがたい。
要は言葉の問題ではなく、コミニュケーション・スキルだ。
あるいは心の問題。
マゾは度胸だ。
ここで俺は、努力が報われるとかを言いたいわけではない。
むしろ報われないことの方が多いのが現実だとも思う。
ただ、後になってから、過去を振り返った時に、報われたのかもしれないな、と思えれば、それは人生における一つの幸福と言えないであろうか。
だから常に夢や願望(倒錯的願望も)は抱いていたほうがいい。

セントラル・パークとハドソン川に挟まれたアッパー・ウエスト・サイドにある高層マンションの一角に、
Nutcracker Suiteの
Dungeon はあった。ちょっと歩けばメトロポリタン美術館に行ける、とてもSMクラブがあるとは思えない穏やかで美しい地区だ。東京で言うなら、皇居前広場近辺、日比谷とか丸の内のようなロケーションで、ジョン・レノンの自宅だったダコタハウスも近い。
まるで一流ホテルのスイート・ルームのような内装の部屋で、ネットで事前に予約指名していた Deprava 女王様が、迎えてくれた。長身でグラマーな肢体を目の前にし、威厳のある目で見つめられた時、俺は身が震える思いがした。
年齢は24歳とのことだったが、俺よりずっと年上に見えた。
東京・日本橋で購入してきた扇子と手ぬぐいのお土産に、そのいかにも貧乏臭い小品に彼女は喜び、神々しい表情が、一瞬にして少女の笑顔となり、ソフトに俺をハグしてくれた。
セッションの流れは日本のSMクラブとほぼ同じだ。
やや気まずいスモール・トークの後、NG項目を伝え、セーフ・ワードを打ち合わせた。
俺の場合は、日本ではいつもそうしていたように、春川ナミオ氏のイラストのファイルを見せる。そしてやりたいコト、やられたいコトを正直に、初歩的な英語で簡潔に述べた。
ただ、日本ではあまり見かけなくて意外だったのが、一枚の書類を渡され、読んだらサインをするよう促されたこと。
それは、もし何か文句あっても、告発しませんとかなんとか書かれている同意書だった。
実際に、何かのトラブルで、裁判沙汰に発展するケースはたまに起こるらしい。
さすがアメリカだべや... (>_<)
なんだか奴隷契約書にサインするみたいでちょっと興奮した。 俺が少し戸惑ったような素振りを見せると、ミストレスは
Don't worry. Trust me ! と 無邪気に、だが、しっかりとした口調で言った。
ビビったものの、その瞬間に得た感興に俺は感謝することも忘れなかった。
こうして俺の、不純ではあったが、それと同時に純粋でもあった夢は、どうにか実現した。
ニューヨークのミストレス はセッションの後で 優しく次のように言ってくれた。
You were pathetic but passionate that made me so happy ♥︎. (貴方は哀れだったけど情熱的でとても楽しかったワ ♥︎) きちんとヒアリングできたのでよく覚えているフレーズで、その意味もわかったことが嬉しかった。
生まれも育ちも異なる、文化や個性、価値観などもまったく違う異国の女王様と、一瞬だが心を一つにできたという喜びは大きかった。
俺たちは確実に何かを共有し、共感し、そして共に楽しんだのだ。
ニューヨークは人種のるつぼ(melting pot)と言われる。
民族的な違いなども加わり、日本以上に多種・多様な価値観が入り乱れ、それだからこそ個人の違いを尊重し、お互いに気をつかいながら楽しむすべを、彼女はきちんと心得ていた。
この体験はその後のSM観、いや俺の人生観に貴重な影響を与えてくれた。
結果だけが全て、
ではないとも俺は思っている。

どんな夢でも構わない。
叶えるための努力をしたかどうか。
報われなくても悔いの残らない情熱を注いだのか。
伝わらなかったとしても、誠意は尽くしたのかどうか。
そこが大切なポイントだと思う。
人生は短いと、高齢者になった現時点での、現在完了時制でこそ言える心境だが、実際のところそれほど短くもないんじゃないかと、最近の俺は思うようになってきた。
努力を続けている限り。
人生は短し、老後は長し。 老後のマゾ活のために、情熱と努力の精神は持ち続けて逝きたい。
俺のマゾヒズムのために。
マゾヒズムに花束を!
■ 忘却とは忘れ去ることなり
■ わが汚辱の人生 
■ 持続可能なSMプレイ
■ この人を見よ!
■ チン踏みの戯れ
■ なに勝手に逝ってるのよ!
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■ 記憶しておこうと思う
■ 感動の人犬プレイ
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■ ご挨拶の儀式の魅力