僕は詩が好きで、それほど多くを読んではいませんが、散文の中にも詩的な表現を発見したり、詩情を連想させる趣を大切に見つめてみたい気持ちが少しあります。
homer というブログネームも実は、古代ギリシアの詩人からとってつけたようなものなのですが、まぁ別にザ・シンプソンズのホーマーでもいいや。
コミックやアニメを観ていても、詩情を感じることは、皆さんにもあろうかと思います。

さて、この写真の、英文のフキダシの意訳はこんな ↓ 感じになりますでしょうか。
女王様:さあ、 言いなさい! どうして私に感謝するの? 奴隷M:ありがとうございます。至高のお恵みである、女王様の香しいお御足を、舐めさせて頂く栄誉を与えて頂いたからでございます。 女王様:いいこネ この写真自体は、男が跪いて女王様の足を舐めるという、よくあるFem-Dom スタイルの典型的な図像でしょう。
表象というよりは、そのものズバリでもありますが、この2人の関係性を象徴するものです。
写真だけならそれほどエロティックでも、激昂するまでは逝かないのかもしれません。
そこに、このフキだしの文言が追加されることにより、ダイナミックな物語が浮き彫りとなり、美術絵画作品のように芸術的感動が得られると思います。
これは既存のフォトに、別の第三者が台詞を考え(あるいは現場で交わされた実際の会話の場合もある)、フキダシにしてコラージュ化した二次創作物です。
単体の写真作品とはまた別に趣のある、FemDom アートのニュースタイルだと思って観ています。
このスタイルを真似して僕も自分の写真に適用してみたのが
「仮面の告白」などのエントリーでご紹介しているシリーズなのでした。
ここに言葉責めの魅力を再発見することも出来るだろうし、言い換えるなら呪術の威力の可視化とも言えます。
女王様の言葉は詩歌のように男の心に響き、自分が感謝や崇拝の気持ちを述べる文言も、女王様を讃える歌となる。
女王様の目の前で、己の愚かさ、惨めさ、卑しさを認め、告白し、本来なら口にできないお願いごとを懇願し、女神を讃える歌を歌うという体験は、太古の呪術的儀式を疑似的に味わえる、現代人に残された素晴らしいイニシエーションとなるでしょう。
今の若い人は、「んなコトやってられネ〜!」と、コケにする向きもあろうかと思います。
僕と同世代の、見識豊かな紳士淑女の方々の中にも、三文芝居の喜劇(悲劇?)とおっしゃるかと推察されるのですが、実際にやってみると、劇的な感動があるものなのです。
独りで歌うのは哀しいけれど、たった一人でも、目の前に僕の哀歌を聞いてくれる人がいる幸福を、皆さんにも体験して頂きたいものです。
自分の言葉にする。 言語化して、実際に自分の口で言ってみる。 これが詩の醍醐味だと思います。
一度、実際にやってみると、得難い何かを、得ることが出来ます。
などと偉そうなこと言ってスミマセン(>_<)
現実にやってみて、最近になって気づいてしまったことだったりします。
黙っていると、なかなか意識されない部分。
口にしてみることで、不思議と意識化されたりするのです。
詩を読む人は多くはありません。
おそらく、このブログの読者でさえマイノリティでしょう。
でも、わざわざ詩集を買って読むのではなしに、(もちろんそれはそれで大OKですが)自分でつぶやいてみるのも一興かと存じます。
つるさんやKさんなら既にやってらっしゃるかもしれませんが、今風の若い人たちにお薦めしたいです。
なんでもいいのです。思いついたら、テキトーに つぶやいてみる。
意外と楽しいものですよ。
これやこの
お持ち帰りも
射精なら
ありおりはべり
舌を伸ばして 以前にも、
「ご挨拶の儀式の魅力」のエントリーで述べましたが、この儀式、「ご調教お願いします」セレモニーにの中には、ステキな感動が隠されているということが、少しはご理解頂けるのではないでしょうか.... (>_<)
■ ご挨拶の儀式の魅力
■ 陰影礼賛
■ 仮面の告白
■ 尻に吠える
■ 悲しき玩具
■ この人を見よ!
■ 粋に逝きる
■ 記憶しておこうと思う
■ 本当の自分になれる時
■ 忘却とは忘れ去ることなり
■ わが汚辱の人生
■ ぶらチンポ