
ここ数年フェティッシュ・バー関連ばかりで、しばらくリアルSMから遠ざかっております。
リアルと言うのか、もともとそれほど経験豊富というわけではなく、実際にプレイするよりは、妄想で楽しむタイプなもので。
もういい歳ですし、最近は体力的な問題も正直なところ、なきにしもあらず...
しかし、マゾ・モチベーションだけは歳を重ねるごとに意気盛んになって逝きます。
ふと気がつけば、僕が人生で初めてのSMプレイを体験してから、まもなく
ちょうど30年 が経過しようとしている!!
なぜわかるのかというと(それがいつなのかは特定秘密なので言えませんが)初SMは自分の誕生日に行ったから。
10代後半までの僕にとって、SMは完全に個人的な妄想世界であり、実際に他者と行うためには、なんらかのきっかけみたいな口実が必要でした。

*写真と本文は関係ありません 今にして思うと滑稽な話で、きっとそれぐらいの「祝祭性」を持たないことには、行く決心がつかなかったのでしょう。
大学生になって年齢的にも経済的にも、そして精神的にも、いつでも行ける状況になってからすでに2〜3年は経過しており、予算も時間も心の準備も確保してから、実際に行くと決めるまでにもさらに2〜3週間悩んでいます。
何も考えずにドピュッと逝けばいいのに、なかなか勇気が出なかった。
それに当時はまだSMクラブという場所の信頼性にも疑問が残る時代でした。
もしかしたらプレイ中に身ぐるみ剥がされて、本当の奴隷市場に拉致監禁されてしまうのでは?という恐怖心もマジであったのでした。
何か危険な目にあいそうになった時
「お誕生日だから」 という理由で
勘弁してもらえるかもしれないなどという、ほとんど子どもみたいなことを本気で考えていた。
もしプレイ中に何か酷いことでもされそうになった場合に
「お誕生日だから」という理由で許してもらおうという保険(切り札?)の意味もあった。( ← なんだソレ?)
あるいは
「お誕生日だから」、そのお祝いのどさくさにまぎれてイイことをして頂けるかもしれない期待感も、全くなかったとは、自信を持っては言い切れないと、言えないことはなかったかもしれない。
SM的には無知で、リアル知り合いもいなかったし、己の恥ずかしい願望に悶々と悩みに悩み続けていた青春時代が終わろうとしていました。
これ以上自分の気持をごまかして生きていくのはもう耐えられないと、清水の舞台から飛び降りる思いで、初SMの予約の電話をかけたのです。

*写真と本文は一切関係ありません
携帯電話のまだない時代、公衆電話からダイヤル式だったので、震える指先がうまく穴にはまらず苦労したのをよく覚えています。今と違って電話をかけるには段取りに少し時間がかかる。
(リストから選んでワン・プッシュというワケじゃない)
ダイヤルを回している途中で「やっぱりやめよう!」と何度も受話器を切ったりもしました。
たかがSMクラブに電話するだけなのに、変な自分。
これからただならぬことをしようとしている罪悪感のようなプレッシャーに胸が張り裂けそうでした。
アホだよね、自分(>_<)
当時の僕にとっては(今もだけど)、「たかがSM」ではなかった。
とてつもなく大きくて、深淵で、神聖で、そして何よりも大切なコトだった。

*写真と本文は一切関係ありません ためらいの本当の理由は、それをやることによって、何かを失うような気がしていたのかもしれない。
想像しているだけなら「普通の人」だけど、実際にやってしまったら、人生が終わる。
いや、人生終わらないまでも、少なくともその後の人生の何かが変わってしまうだろう。
真剣にそんなこと思ってました。
記念すべき
初SMの記憶はおぼろげながらしか残っていません。
しかし、確かにあの時から、僕の真のマゾ人生が新たにスタートしたのでした。
あれから30年… いろいろなコトがあったけど(どちらかというと悪いことの方が多かったような気がする…)マゾとしてのどうしようもない人生に後悔はありません。
痛かろうと、恥ずかしかろうと、我がマゾ人生に悔いはない〜♪
素晴らしい人たちに出会えたし、少しはいい経験もさせて頂きました。
我がマゾ人生30周年を記念し、自分自身への「ご褒美」として久びさのリアルSMにチャレンジしてみようと思っております。
いや、別にネ、
「誕生日だから」という理由で、何かへんな下心みたいなものはありませんから!
いつ、どこで、誰とやるのかについては、特定秘密保護法により情報開示できません(>_<)

*写真と本文は、本当に一切関係ありません!
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未だに蜜を食しに行ってまいります。
あの当時のどきどき感はたまらないものがありました。
中野駅の場合、公衆電話は何故か 駅前派出所の近くで
六本木では 日産社屋の前でしたね
今夏は 都内で 軽く その手の話を肴に飲みたいものです。