昭和27年(1952年)に発行された「奇譚クラブ」を読んでいて、もう50年以上も昔の雑誌なのにあまり違和感を感じないのは何故だろうか?とふと思った...
そういえば昨今のブログの文章とよく似ているような気がする。
ほとんどのブログは、インターネットで公開された日記のようなものですが、本来日記というのは、心の奥の秘め事が書かれる恥ずかしいものだったはず。
少なくとも昭和の時代までは。後から自分で読んでも恥ずかしくなるようなことを、昔は書いていた。ところがブログは、見ず知らずの第三者に読まれることを前提に書かれている。もちろん知り合いに読まれること(mixiみたいに)もあるだろうが、人に読まれることを想定して書くというのは、「奇譚クラブ」の告白手記と似ている。
縛られたいだの浣腸されたいだの、鞭で打たれたいといったアブノーマル願望には、50年前の昔も21世紀の今でもたいして本質的な違いがみられない。ビョーキなのか趣味なのかは不明ですが、ただその表現形式はかなり変化してきている。

「奇譚クラブ」の時代は、まさに告白手記といった表現がハマるような、人生で一大決心をして投稿してみました!という深刻な雰囲気が感じられるのに対して、今のブログのほうではもっと軽いノリで、あまり恥ずかしがっている気分ではない。「奇ク」の文章スタイルのほうが、抑制された味わいがあり、読んでいてむしろ興奮する。SMやマゾヒズムに関するブログは随分増えてきているし、読んでいて面白いとは思う反面、あけっぴろげすぎてなんだか「奇ク」のほうが新鮮に映ってしまう。
いずれにしても、普通だったらとても人には言えない恥ずかしい内容を書くという快感、ある意味で露出趣味的な快楽をどちらも追求している点は共通している。
【Femdomメディア史】
- 関連記事
-