
これは
「救いようのないマゾ」という意味だそうです。
まったくマゾヒズムという習性は、自分でも救いようがないものだよと思う。いったいどうして、このような願望が存在し得るというのだろう?
未だに不思議でしょうがありません。
こんなマゾな自分が言うのも変な話ですが、
誰がどう考えたってそうでしょ? 様々な好みの
種類(痛いのが好き、恥ずかしいのがいい、舐めたい、踏まれたい、等々 etc...)があるとはいえ、基本的に地球上に存在する生き物として、こんなおバカなこと考えているヤツって、人間だけ。
(他の動物さんの意見を聞いたことはありませんが ^^ ) しかも、普通の性欲よりも強い願望としても成り立つメンタリティには、この世に生きるものとしての根本的な存在意義すら問われるのではないか、などと時々悲観的な気分にもなります。
これは、「宇宙の果てにはいったい何があるのだろう?」という普遍的なナゾと同じくらい、僕にとっては重大な疑問なのである。
だけど、いつもは面倒くさいから、そんなこといったって
好きなものは好きなんだからいいじゃん!
と、半分開きなおることにしている。
「マゾヒズムの発明」とか、ミシェル・フーコーの難しい著作を読んでみても、なんとなくわかったような気がしてわからないのがマゾの心理。
これを追求することは、結局「人間とは何か?」という問いかけにもなってくるのである。
マゾヒズムが救いようがなくて、無様でミジメでもうどうしようもないのに対して、サディズムの方はかっこいい。心理的にもまだ説明がつきそうな気がする。(←説明できないけどね)
だって「救いようのないサド」という表現は、どこか不自然な気がしませんか? サディストって、例えば縄師さんとか緊縛師、そして女王様も含めていわゆる「S側」の人達って皆さんとてもスタイリッシュでクール。
サディズムとはまた違うのかもしれませんが、憎たらしくてきらいなヤツをぶん殴ってみたいという気持ちは理解できる。これと同じようなベクトルで、可愛さあまって憎さ百倍的に、本当は好きな人を虐めてみたい、という、いわば愛し方の種類としても、まあ、納得はできる。
でも、僕は本来暴力そのものが嫌いでして、女性から暴行を受けるのが好きというわけではありません。SMプレイのジャンルに「格闘技系」みたいのがあるけど、あれはちょっと勘弁してほしい。
(好きな方には申し訳ないけど、プロレス自体があまり興味がないもので)
もっと僕が好きなのは、
美しいものを崇拝する気持ち のようなもので、その相手にのみ服従し、その美の前においてのみ恥ずかしい姿をさらすことが出来る、という感じです。だから公開羞恥プレイのようなのは、ちょっとイヤかな。
ま~、偉そうにナンダカンダ言ってみたところで、僕がキンギョマゾであることにかわりはないのですが...
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