
漫画雑誌「ビックコミック」で連載が始まった「万華鏡~抒情と緊縛~」(作・倉科遼/画・ケン月影)を毎週楽しみに読んでいます。
これは大正時代の抒情画家、竹久夢二と、緊縛絵師の
伊藤晴雨、そしてこの二人のモデルとして活躍したお兼(お葉)の物語で、かつて団鬼六が
「外道の群れ―責め絵師・伊藤晴雨伝」( 幻冬舎アウトロー文庫)でも紹介しているエピソードが元になっています。
個人的には待望の劇画化で、SM界隈でも大きなトピックになってもおかしくないはずなのに、今のところ誰も話題にもつぶやきにもされてないので、マゾのくせにけしからんと言われても、僕がここで紹介しちゃいます。
タイトルの「抒情」は夢二を、「緊縛」は晴雨を象徴し、この二人を万華鏡のように見ると、さまざまな愛の色模様が見えてくるというメタメッセージが伝わってきます。

緊縛がブームとなり、一般ノーマルな人々の間でも「SM」がポピュラーになったとはいえ、これまでさほど日の目を見ることのなかった伊藤晴雨の存在が強烈にクローズアップされ
ケン月影がいい感じの絵柄で描いている。

艶やかな和服美女を描かせたらこの人の右に出る者はいないと言われるケン月影は、その女を陵辱する男をグロテスクに描くことにおいても秀逸で、同じようなコントラストは近年亡くなった
椋陽児にも通じる感性でした。

ところが、今回登場する伊藤晴雨は、なんとも言えない愛嬌のあるキャラとして描かれており興味深い。

まるで「あしたのジョー」の丹下段平を彷彿させる伊藤晴雨と、「巨人の星」の花形満ばりの竹久夢二の確執は、劇画というフォーマットに落とし込むための、相変わらず見られるわざとらしいデフォルメにも感じられますが、そこは大ベテランにして伝統的な官能エロス劇画の巨匠であるケン月影の手にかかると、全く違和感はありません。

自由恋愛の難しかった時代、いや、SMという文化や価値観すらあり得なかった時勢において、絵師という立ち位置からギリギリのところで女性を縛って写真を撮り、責絵を描き、当時はまだ認められなかったその芸術性と美を追求した日本近代SMの父と呼ばれる伊藤晴雨。
彼の反逆的とも言える冒険がなければ、今の日本におけるSM文化の花は開かなかった。
いや日本だけではない。
「緊縛の文化史」の著者マスターKによれば、米国BDSMメディアの創始者、
ジョン・ウイリーも、伊藤晴雨の責め絵や写真に影響を受けていたのだという。
戦後の
「奇憚クラブ」は、伊藤晴雨の弟子にあたる
須磨利之による編集で革新的なSM雑誌へと変貌した。
晴雨の撮影した写真や責め絵、文章が数多く掲載され、その後のSMメディアの先駆けとなりました。
それらの雑誌が、当時日本に在住していた米国人によってジョン・ウイリーの手元に渡っていたのです。
さらにジョンの編集するSM雑誌「ビザール」は、伊藤晴雨のDNAが交じりながら逆輸入されてくる。
そして
団鬼六や濡木痴夢男、明智伝鬼や雪村春樹、
有末剛といった、SMの高度成長を支えたキーパーソン達にも、確実に伊藤晴雨のDNAが隔世遺伝していったのです。
江戸時代後期の刑罰や拷問の歴史を研究し、その目撃者や生き証人から直接取材し、いにしえの緊縛(つまり広い意味でのSM)のルーツを知る伊藤晴雨は、近代日本SMの最重要人物です。
劇画というフィルターを通してではあるものの、晴雨の生き生きとしたリアリティを垣間みることができるのが、なんとなく嬉しいのは、僕だけではないでしょう?
むしろS男性の代表者である縄師の方々や、緊縛講習会などで縛り方を習っているようなS女性の卵たちにこそ、注目されるに値する作品だと思います。
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私的には マゾの特別な能力として、美を追求するのだと思います。
女性の緊縛する姿にも美を感じるのも マゾ故だと思います。
素敵な事でしょう。
小生的には、女王様が緊縛されている姿に美を感じます。
普通の女性やM女さんではそこまで盛り上がれません。
それも あるシチュエーションで奇跡を観させていただきました。
もう、それは二度と現世では不可能ですが・・・
縄が生きるのも死ぬのも、当事者の関係故に
妖美さを放つものなのでしょう。
マゾ故に いつも眼福していたいものです。
だから プレイしに 行くのでしょう。
ごきげんよう。