
この画像は、たまたま
Felm Cyber - Female Domination というサイトに掲載されていたのを見つけたもので、これを見て往年の名ブログ、「変態でよかった」を思い出しました。
イトーさんの文業は、ご自身の羞恥を回顧されるかたちで、現代の羞恥系マゾヒズムをみつめ直すという果敢な貢献をされてきました。
羞恥という、この捉えどころのない難問を良心にかけて問い、解き続けるという精神の闘いには敬服しております。
僕は若い頃はコンプレックスの塊のようで、羞恥への関心は高かったにも関わらず、マゾヒズムのプロパティとしての羞恥への興味は薄かった、というよりも、あまりわかっていなかったと思います。
ところが、数年前に大阪の夢楽園というSMクラブで、突然マンションの一室(当時は住居用マンションの部屋をプレイルームとして使用できた)から引きずり出された時、ちょうどこの写真のような状況に放り込まれた時に、羞恥心の醍醐味を味わったように思います。
参考エントリー
→ 大阪の夢楽園の摘発 夢楽園というところは、マンション全体がクラブの管理下みたいなものですが、当時の僕はまだそのことを知りませんでした。
羞恥心というのは、なかなか意図的に創り出すことは難しい。
イトーさんのような達人はそれを巧みに実現されていらっしゃいますが、恥ずかしい状況に自ら望んで入り込むのと違い、想定外の羞恥心、「本当に誰か来たらどうしよう〜(>_<)」みたいな、スリリングな不安やプレッシャーも、羞恥心に魅了される一つの要素なのだと思います。
しかし夢楽園のように、原則として誰も来るはずがなく、来たとしてもそれはお仲間みたいなものという前提を知ってはいても、やはり怖いものは怖い。イヤなものは嫌(>_<)
僕は、そのギリギリのところのボーダーラインにいるだけでとりあえずよしとする。
その一線を越え、誰かに通報されたり、当局に逮捕されたりした時に、人生は一巻の終わり。
勘弁して下さい〜
「絶対にイヤです!」 とダダをこねてみたものの、完全に無力化した僕はついに引きずり出されてしまった(>_<)
その時の何とも言えない恐怖と恍惚の入り交じったカオス感覚が今でもトラウマになっております。
そして今では
「絶対にイヤでも、もしかしてないの?かも鴨川・・・」 みたいに思えてしまっているぅ〜(>_<)
もう破滅してもかまわない! この心境の推移は相当に危険。
危険ドラッグよりも 危険 かもしれません(>_<)
僕自身は、本当に見ず知らずの他人様(初対面の女王様をのぞいて)に自分の痴態を見られたという経験はなく、あえてそれをやりたいとは思えないはずなのに、なぜかこういう画像を見てエキサイトしてしまうのは、潜在的にそういう願望が心の奥で芽生えてしまったのかもしれません。

唯一の支配者であり、自分が崇拝するたった一人の女王様の視線に晒されるのならともかく、どうでもいい他人、自分とは全然関係ない人々に卑しまれるというのは心理的に抵抗がある。
それが女王様のお望みだとしても、やはり勘弁して頂きたいというのが本音。
例えばその女王様のお友達であるとか、僕の好みのタイプの女性であればまだしも、S気質をお持ちでもなく、たんに面白半分に知らない人に馬鹿にされるのでは、僕のマゾヒズムを刺激することはない。
ただイトーさんの本格的なブログを読んでからは、純粋にそういうのが好きという人の気持ちも何となくわかってきたような気がしています。(いや、本当のところ、わかってないのかもしれませんが・・・)
イトーさんによればこの種の性癖はマイノリティで、理解できる人もそんなに多くいないとのことですが、覚醒していないだけで、潜在的には、水面下にはけっこういるのではないかとも思われます。
破滅(=死)へのアプローチも、伝統的純正マゾヒズムの範疇に入るわけで、そもそもマゾヒズムからして意味不明と言えば、意味不明。
そういう意味では不可解にも見える公開羞恥プレイは、「まっとうな」マゾヒズムの一部を構成する要素だと考えられるのです。
それにしましても、世間一般的にはクレイジーな世界観や嗜好について、ここまで真面目に考えるきっかけを得たのは、似て非なる性癖を持つ者同士の奇跡的な邂逅があってのことで、イトーさんのコメントやブログにあらためて感謝の意を表したいです。
*イトーさんのブログは限定のクローズド・ブログとして最近復活されました。 その一部が一般バージョンとして公開されております。 →
枯れゆく前に 羞恥マゾプレイに関する謎や興味をお持ちの方にはあわせてお読み頂けると幸いです。
いつの日か羞恥系マゾヒズムが大衆化し、ポピュラーになってみんながみんな原宿や日比谷公園、六本木ミッドタウンなどで公開羞恥マゾプレイをやらかしたら、羞恥マゾプレイが何ともなくなってしまうかもしれません。
↑ あり得ないから (。。)☆\バキ そういう意味で、マイノリティーであることが、羞恥マゾのアイデンティティーになっているような気もします。
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ホーマ:男のプライドが許さないってか。
ネホリ:そんなもの糞ですよ。
ホーマ:マゾにもプライドはある。
ネホリ:プライドがあるのに、それを捨てるところが潔いんですな。
ホーマ:男の美学ですね。いやM男の美学か。
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