
このマンガがすごい!
以前紹介した六反りょうの
「亭主元気でマゾがいい!」が電子書籍でなく、ついに紙の単行本として発売されました。
★ネット版の最新作(2016年3月末現在) SMバーにお客さんとしてやってきたマゾ男。そのマゾと結婚した女王様の描いたコミックが、全国の本屋さんに並んでいる。これは凄いことだと思う。
かつて、SM業界をリアルに描いたメジャーコミックとしては、
森園みるくの「Beehive」 や、
「 麗羅(レイラ)/三山のぼる」 がありました。
奥さんを女王様にして家の中でのSMプレイが描かれるコミック作品は、僕の知る限り1993年に発行されていたマニア向けマイナーSM雑誌「Queens Express vol.3」に掲載されていたこれ
↓
Sweet Marriage(甘い結婚) 女王様とマゾのプライベートや、特に「性生活」というのは、従来はあまり可視化されてこなかった領域です。
夫婦でSMやっている人はいても、それは「夫婦間の秘め事」というカテゴリーに属し、セックスは奥さんとやって、SMは女王様とするという不文律みたいなものがありました。

ある世代から上の人にとって、SMを家庭内に持ち込むのはタブー。
その禁断の扉が、このコミックによって開かれたのです。

この作品には、きわめて普遍的で、現代的なテーマが含まれていると思う。
ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)や虐待など、夫婦間や家庭内における沈鬱な事態に対して、明快な解決策の与えられる画期的な作品として期待されていい。
こうなってくると、この作品には、
手塚治虫文化賞の受賞もありえる。 ストーリーは事実を元にするフィクションですが、女王様目線のエッセイ風コミックという切り口で、都会的なSMコミュニティのルポルタージュ作品としても仕上がっています。
出来ることなら見たくない恥ずかしい世界。
マゾヒストの夫と、女王様の妻は、いったい家庭内でどう暮らしているのでしょうか?
歴史的には、自分の奥さんに
顔面騎乗してもらったり、聖水をかけてもらったり(飲んだり?)というアブノーマルな行為は、おそらく常にどこかで、密やかに行われていたであろうことは想像に難くありません。その内容にSMとか変態というカテゴリーはなく、夫婦間のユニークな性生活として勝手にやってくれという感じ。
戦後の風俗雑誌の投稿欄などからも、わりあい古くから、家の中の密室でそういうことが行われていたのは伺い知れるのですが、それにしてもはやり
非日常であり、家庭が舞台としてのSMには違和感が強い。SMが非日常的幻想であるなら、妻=女王様の方程式は成立しにくいのです。愛人=女王様ならわかります。ミストレスというのには、「愛人」という訳語も与えられているわけだし。
そもそも全てのM男が、女王様と結婚したいと考えるかというと、そうでもないような気がします(その逆はなおさらのこと)
まずは普通に好きな女性(ノーマルな)と結婚し、段階的に(顔面騎乗してもらったりしてして)女王様になってもらうという逆調教パターン(?)が王道だったと思われます。
つまり、
結局は男が主導権を握っており、 女性の立場や気持は
ないがしろ にされている。 男尊女卑の精神はまだ息づいているわけです。
そこまで言わなくても、そんな雰囲気や因習的偏見が、後遺症のように現代社会の水面下にかすかに残っているような気がします。
戦後、男女平等が政治的に実現し、男女雇用均等法の制定や性同一性障害差別撤廃への動きもダイナミックになった現代において、未だにセクハラ、パワハラ、さらにはマタハラ(妊婦さんへの差別・イジメ)といった男尊女卑的な動きが横行している背景には、そこに原因があるのではないでしょうか。

SMという、狭い世界に目を向けても、夫が妻を縛ったり、浣腸したりという「S男M女物語」が依然としてこの世界の主流であり、女王様とM男の夫婦物語というのは、ありそうでなかった。やはりレアーなジャンルです。
女性を、妻を、心から愛し、本当に崇拝することのできる男が、いったいどれほどいるのでしょうか。
もちろんいることは知っていますが、ギリギリどこまで女性上位をリアルで実践されているかは疑問の余地が残ります。なぜなら、いわゆるサブミッシヴな男性ですら、本音の部分では生活の主軸に男上位の思想が無意識のうちに立っていて、非日常の舞台でそれをひっくり返すのが倒錯であり、そこに快楽性を見い出していたのだから。
「ちょっとだけ
Femdom ?」なのであり、「いつも 完璧に
Femdom !」ではない。
SMは言うまでもなくデリケートで微妙な、あいまいで複雑な、マニア同士の共同体の中においてさえも共有不可能な部分が混沌として存在する世界。
この作品の中では、そうしたSMの特殊性が排除され、すでに一般化したコンテンツとして扱われています。
女王様とマゾヒストの物語ではなく、現代的な男女間の新しい関係性としても読めるのです。
マゾの夫は、作者である女王様から、ごく普通に
男としてリスペクトされています。
そしてマゾ夫も、妻を女王様として崇拝しているだけでなく、まっとうな愛で支えている。

そこには夫婦間にあるべき
伝統的関係性の美徳 が維持されている。
SMはその装置として機能しているにすぎません。
もしノーマルな人が夫婦仲に行き詰まったなら、SMの女王様と奴隷という関係性に焦点を合わせるとうまくいくと思う。
「亭主元気でマゾがいい!」の物語では、いやSMというくくりのカップル間(男女とは限らない)の人間関係と置き換えてもいいのですが、この両者は相互理解を越えて、お互いに心を丸裸にしてコミットした関係性を築いている。
浮気やDVや離婚後の親権争いなど、夫婦間の現代的・都会的諸問題やトラブルの多くは、このコミック作品を読むことで全て解決されるのではないでしょうか。
六反りょうとマゾ夫の、この若いカップルが、末永く幸せに暮らし、エロティックで楽しい夫婦生活を営んでくれるよう願っています。
↑ 余計なお世話っだっちゅうの (。。)☆\バキ マゾだって素敵な女王様と結ばれる(>_<) そんな夢を与えてくれる物語には、誤解や、嫉妬や、気持のすれ違いという、仮面夫婦間のギスギスした暗い荒野に、明るい光を投げかけてくれるそうな希望を感じます。
どうでもいいか、そんなコト。(>_<)■ SMの女王様に市民権を与えたのは朝霧リエです ■ マゾは己の欲望を満たすためにSMプレイをする
■ 女王様の亭主になりたい ■ 顔面騎乗に市民権を与えた男【このマンガがスゴい!】
〜SMを考察するきっかけとなる過去の作品〜山岸 凉子「天人唐草」

おすすめ度 ★★★☆☆
SMおとぎ話


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日常場面でりょう先生は、マゾ夫さんを男性として尊敬していますよね。
そこには女尊男卑は無いのです。
私も普段(基本)、女尊男卑は持っていません。リベラル人権派な(?)男女平等的思考の持ち主です。
S女な私も無意識に恋愛対象となる男性は、自分より上位さがある方を好みます(知的さ等)。
私みたいにSM結婚願望がある方というのは、エロス・快楽を重要視(?)している、単にスケベさが強い人間なんだと思います(苦笑)。
素敵なM男さんと結婚したいのは、奇跡を狙っているようなものかもしれませんね。
素敵なM男さん相手なら、ソフトからハード迄対応出来る柔軟性(?)あるS女になっておいた方がいいのではないか?とか最近思います。SM相性迄こだわり出すと永遠に出会えない気がするので…。
先日サークルで素敵なオジサマをセッティングしてもらって…ワクワクしてます!う、嬉しい…!