別にこれまで隠していたわけでもないのですが、大学では演劇を専攻していました。
役者志望というのでなく、学問としての「演劇」を真面目に勉強していた。
観に行った芝居の感想文を書けば、単位がもらえるという、今にして思うとユルい学科。
当時は劇評を書くというのが難しく感じられ、けっこう苦労してたんだけど。
ゼミの教授がシェークスピアの専門家だったこともあり、シェークスピア劇をよく観に行かされていました。
なにしろ単位取得や卒業が絡んでくるので、随分とたくさんの公演に足を運びましたけれど、「お芝居が面白い」というよりは、文学的なシェークスピア作品に感銘を受けた、というのが正直なところ。
僕が提出するレポートは「劇評」というよりは「文芸批評」みたいになっていた。
この頃に寺山修司が亡くなったこともあり、再び小劇場ブームが巻き返していた時期です。僕は天井桟敷の芝居を見た最後の世代かもしれません。当時は第三舞台や夢の遊眠社などが人気を集めており、蜷川幸雄はまだ「世界のニナガワ」となる前でした。
蜷川さんのことを当時よく知りませんでしたが、彼が演出したシェークスピア公演もよく観ていた。
よくと言っても5〜6本ぐらいですが、「マクベス」は強く印象に残っている。
シェークスピアのような偉大な古典演劇は、結局誰が演出しても同じだと(生意気にも)思っていた僕は、蜷川演劇には衝撃を受けました。
シナリオには全く手を加えず、オリジナルの古典演劇を現代的にアレンジするユニークな手法、装置や設定で斬新な見せ方に凝る蜷川さんの発想と実行力には本当に驚きました。演劇というのはストーリーや台本だけでなく、解釈、つまり演出がもう一つの命なのだと、初めて気づかせてくれたのが蜷川演劇でした。(←遅いって)
直接お会いしたことはなかったのですが、遠目で本人を目撃したことは何度かありました。
蜷川さんのご冥福を心よりお祈り致します。
◆ 蜷川幸雄さん死去 海外も追悼 ところで、「マクベス」の第1幕第1場に出てくる台詞に
「きれいはきたない、きたないはきれい」 というのがあります。
”fair is foul, and foul is fair" 一般的には、人間の無意識の奥底に抑圧された欲望を、混沌から呼び起こすための呪文として解釈されています。
これは「良いは悪いで、悪いは良い」という邦訳もあり、魔女の台詞なので、悪魔の世界での良いことが、人間の世界では悪いことになるなど、様々な解釈がなされている有名なフレーズ。
意味的にはともかく、対立する概念には例えば、「明と暗」「善と悪」「美と醜」など、あるいは「芸術と科学」「直感と論理」、さらには本音と建前、形式と内容、そして「肯定と否定」なども考えられます。
これに今なら僕は、「苦痛と快楽」を追加申請したい。
シェークスピア的に
「痛いは気持ちいい、気持ちいいは痛い」 という命題を使ってSM理論が可能だと思う。(これで単位もらえたかどうかはともかく?)
大学時代はSMをまともには考えていませんでしたが、最近の女王様には卒論のテーマにSMを選んでいた人もいるのを尻、でなくて知り、そんなこともふと思い出しました。
どうでもいいか、そんなコト。
シェークスピアの作品には、SMっぽいのもある
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