
最近読んだ本の中では一番印象に残ったマイ・ヒット。SM愛好者だけでなく、広く一般の人にも(おすすめはしにくいが)読んでもらいたい作品。著者は料理人からたまたまプロの女王様になってしまった。だから小説ではあるけれど自叙伝的にも読めるリアリティが感じられる。
SMは料理と似ている。これは料理をしないSM経験者、またはSM未経験の料理人にはわからないかもしれない。全体のバランス、細部のチェック、時間制限、念入りな準備、バラエティと繊細さ、柔軟さ、即興。
そして他人に何かを与え、満足させることで得られる喜びとパワー。料理の醍醐味は、なるほどSMプレイの流れのアナロジーとして理解しやすい。
さらに「食」と「性」のもつ共通性。SMと性を切り離す考え方もあるけれど、非論理的な嗜好性のバラエティという意味において、エクスタシーという感覚は味覚とも確かにクロスオーバーする。
変態的な視点からでなく、まっとうなシェフの目でSMというレシピがなめらかに公開された。僕はこれを読んで、日本のお寿司屋さんを連想してしまう(笑)
昨今のSMクラブというのは、回転寿司みたいなものじゃないかな。味の嗜好は理屈ではない。どうして寿司が好きなのか、うまく説明できない。味の好みについて、あれこれ分析して考察するのはバカげている。好きなんだから、それでいいでしょ!という世界。お寿司ならたいていの人は好きだと思う。ところが、ひかりものはダメだとか、ワサビ抜きでないとイヤだとか、好みは細かくなる。
そこで「そうですか。お嫌いですか」と、ワサビ苦手な相手に無理にすすめることはあまりしない。「美味しいのにアホなヤツ」と心の中では思いつつ、相手の好き嫌いを認める柔軟性が寿司談義にはある。
SMではナカナカそうはいかないことが多い。
好きなネタだけ食べていればいい回転寿司と違って、まわってくるお皿にのってないかもしれないネタを一緒に探すようなSMセッションの場合、女王様と奴隷の共有できる味を見つけることが難しいからなのだろう。時間がない時は、とりあえずまわってきた皿からつまんで食べることになる。そして自分の期待した味でなかったことに失望することもよくある。
回転寿しに飽き足らなくなる時がいずれやってくる。職人気質の寿司屋に入り、カウンターに座って対面形式で職人に自分の好みのネタを注文する。ある程度経験を積み、舌が肥えてくると自分が本当に求める味に出会うためには、このスタイルしかない。時にはカスタマイズしてもらったりして。
最近の軽いノリのSMブームにのっかっている人は、回転寿しのようなSMクラブでも十分満足できるのだろう。しかし真に個人的な味覚を満足させるような美味しいSM願望を満たす場所としては、SMクラブは物足りない。
今僕はM側の視点で書いてきたけれど、このような葛藤がクラブに勤める女王様にもあることがわかって興味深かった。女王様が行うセッションにもいろいろな味があり、彼女達が鞭を打つ相手の個性によってその味は変わるわけだ。味つけをする側も、それを味わう側も、それなりに鋭い味覚が研ぎすまされることになり、SMを知らない読者には、未知なる味覚が開発されることになるだろう。
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私は、料理するのは好きだな。
得意な方だ。
牡犬を料理して、食べるのはもっと好きだけどね。