
今さら言わずもがなですが、SMの重要なコンセプトに、支配と服従というのがあります。
文字通りの意味の中に、複雑な要素が入り込んでくる。
マゾヒズムが厄介なのは、女王様から支配されたいけれど、それは出来る範囲内でのことに限られる(場合が多い)という点。
心の底では「服従したくないこと」には、服従したくないと思うこともあるワケ。
この言い方、やや意味不明かも?
服従したいこと
だけに服従するなんてのは、それは本当の意味で服従していることにはなりません。
どういう言い方をしても、SMプレイをしたことない人にはわかりにくいのでしょう。
SMプレイ経験者なら、ストレートにダイレクトに希望内容を確実に女王様に伝えることが出来たとしても、「服従させられたい」ポイントにフォーカスが合ってないチグハグした感じをご存知かと思われます。

どんなSMプレイでも「S」すなわち女王様がイニシャティブを握っているからには、基本的に「支配と服従」という構図はかろうじて成立しているはず。
しかし、それがよく言われるように「サービスのS」であるなら、支配と服従の構成は反転していることになります。
つまり「S」はM側からの要望によって「支配(サービス)させられ」ている。

SMプレイが「茶番劇」と呼ばれる所以はここにあると思う。
それに萎えてしまう人がいる。
さらには、ラストで完全に主従関係が逆転することに萌える変化球もあります。
別にそこまで厳密に考えなくても、ゲーム性を愉しむという立場もアリでしょうし、細かいことを気にされない女王様もいらっしゃいます。
しかし、服従の主体がどこにあるかはともかくとして、支配する女王様は、真に支配できる内容を、つまりマゾ側にとっては「偽物の服従心」を見極めなければならず、これがとても難しい。
Mが「お許し下さい」と言っても泣いても、本当に許していいのか、許さずにお仕置きを続けるべきなのかは、エンドレスな疑問として常に残ります。

セーフ・ワードが設定されていたとしても、それを言わないからOKか?というと・・・
実はそうでもなかったりすることも、あったりなかったりするのです。
関係性が深化し、両者の意識・身体レベルも上がってくると、さらにややこしいことになりそうで怖い。
支配者の誘惑に、服従者が堕ちる。 出来そうにないことでも、「服従させられてみたい」という願望がマゾにいつ芽生えるのかは謎ですが、それはNG項目を突破する起爆剤となりえる。
Kinbaku や
Whipping が、肉体的快楽を求めているならば、支配と服従の遊戯では、そこで精神のエロス化を引き起こす。
優れた女王様はその瞬間へとマゾを導くだろうし、見極めることが出来るのだろう。
その一方で、どんなに素晴らしいカリスマ女王様であっても、ある特定のマゾにだけは、その支配力が及ばないこともあります。

支配と服従の関係性は絶対的なものではなく、両者の相対的な問題なのでしょう。
さらに相性やタイミングなども、その化学反応に関連してきます。
奥の深いSM関係の中でも、支配と服従のメンタリティには、神秘的な謎パワーが多く、美しい驚きに満ちているようには思います。
それでも僕としては、お約束の上にだけ成り立つユル〜い、ソフトな「支配と服従」の戯れに魅力を感じているのですが、
何か問題ありましたでしょうか?
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