
SMバーやフェティッシュ・サロンでも、ミストレスが退店されていくのを「卒業」という。
AKB48劇場のごとく、いつの頃からか、気軽に会いに逝ける女王様が巷に氾濫するようになった。
SMクラブの現役嬢や経験者にまぎれて、ウブな女子大生もいる。
お客さんも含めてツワモノ達との交流に育まれ「なんちゃって女王様」から、それなりに成熟した大人の女性に変貌していく様子を見ていると、すでに成長が止まってしまっている老いぼれの自分が情けなく思えてくる。
その娘さんは、女王様っぽいオーラや迫力といったものが
ほとんどなく、 M女とは言わないまでも、どことなく従順そうな、将来の目標を見いだせず悶々とした日々を過ごしてはいるけれど、素直で明るい女の子だった。
2年前、初対面の僕に、無邪気な顔面騎乗をしてくれたのを鮮明に覚えている。
心の闇に潜む己のアブノーマル性を開花させる、というようなことではなく、ごく普通のやさしいお嬢さんが、ちょっと意地悪になるという程度の意味で、筋書きのないリアルなドラマが、そこには確かにあった。

普段、特に親しく話をしたことのない女性から、イキナリ顔面騎乗されるというのは、もの凄く刺激的な経験だった。
これまでにもSMクラブなどでは、そういうことをされてきたのに、全く別の感動に思える。
小学校のクラスメートの女子に、
期せずして顔面騎乗されてしまった遠い記憶が蘇るような。

もう来週が卒業式というタイミングで、最後に顔(お尻)だけでも拝んでおこうと、お店に会いに逝った。
なぜかふと、自転車のサドルを購入して持参して、彼女に見せた。

そのサドルに3分ぐらい座ってもらい、真空パックの袋に入れて持ち帰る。
映画「ラ・ラ・ランド」で、売れないジャズピアニストが、かつての大御所ホーギー・カーマイケルが座ったという椅子を大切にしていたように、僕はこのサドルをお宝にしようと思う。

なんのヘンテツもないサドルは、女神が実際に座ったという歴史的事実により物神と化し、フェティシズムの神秘的なツールとなる、といった、
いかにも的なネタに、彼女はいつものように屈託のない笑顔で応える。
若い女性には退屈なウンチク話をしている自分が、もうずいぶんと長く生きて来たものだと感じた。
別に僕が何かを教えたとか、彼女の感性に影響を及ぼしたということはない。
ハッキリと言うまでもなく、僕と彼女の間には、何もない。
一方的で、僕の妄想が入り乱れる身勝手な思い出があるだけ。
ただ、時々僕は、彼女に本をプレゼントしていた。
僕は人畜無害で、やや腰の引けた心理的ストーカーであった。
彼女の人生の1ページに、ほんの隅っこに、汚れちまった染みのような印象を与えることは叶っただろうか。
もしそうであるならば、僕の心組は成功したことになる。
たとえ、間もなく社会人となる彼女の未来について、漠然とした僕の祈りの気持が伝わらなかったとしても。
あるいは何年か後に、彼女の足元に跪くであろう若いM男が、親切で頼もしい人生の道案内をしているのを想像してみたところで、今の彼女に何の意味を持たないにしても。
本日もマゾ花にお越し頂きまして、ありがとうございます。
春は別れと出会いの季節。
ユリイカでは、新人女王様を募集しているそうです(>_<)
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