
ちょうど1年前の今日
「初めてのSMプレイ」という記事を書きました。
ビギナーの時代の(今もだが)、自分本位の身勝手な願望だけで頭がいっぱいだった頃の思い出。
今読み返すと実に恥ずかしいエントリーなので、別に読まれなくても結構ですけど、
本当は恥ずかしいのが好き なので、ぜひ読んでみて下さい(>_<)
この中で「痛そうな小道具は何のためにあるのか?」という問いかけに、当時の女王様は
「気持ちのいいため」とお答えになられています。
全くその通りで、けだし名言だと思う。
「気持いい」とは、肉体的な快楽だけでなく、文字通りの「気持ち」、すなわち精神面にも言える。
鞭や緊縛などで、基本的にやることやってはいても、お互いの気持が離れていては、気持よくなれません。
つかの間の刹那的な一期一会でも、その瞬間に魂の触れ合いのようなものが感じられるようにしたいといつも願っています。
たとえ、SMだけのパートナーであったとしても。
それは恋人や夫婦、親友や仕事上の関係性とは全く異なるものかもしれません。
もちろん、重層的にかぶっている場合もあるでしょう。
しかし、深くて強い気落ちの結びつきがなければ、理想的なセッションになりにくいのではないでしょうか。
当時はそういう意識に欠けていました。
それでも良い思い出として記憶に残っているのは、松たか子似の女王様が、未熟な僕を受け入れて下さっていたからです。
気持ち良さの前提条件として、相手を信頼し、敬意を抱く。
ここが大切なんだと思う。
どのようなシチュエーションでもそれが大事なのは言うまでもないけれども、
何かとリスクの大きいSMプレイの時には、特に大切です。
初対面の相手を信頼して、リスペクトするのは、容易なことではない。
プレイそのものに問題なければ、人間関係なんていらないという考え方もある。
むしろ、そんなややこしい人間関係なんかない方が「気持ちいい」という人もいる。
何が理想で、どこに気持のよさを見いだすのかは人それぞれです。
僕としては、「この人と時を共有するのは気持よい」と、お互いに思えるのが理想です。
仮想現実におけるバーチャルな関係性のようなものですが、それが嘘か誠かなんて意味がない。
なんやかやを取っ払って、お互いに楽しめるような環境をつくりだす。
一瞬でも、女王様からの微笑みが見たい。
無様な姿を晒してでも、それが冷笑でも苦笑でも構わないのです。
そうなれば、プレイが多少ぎこちないものになったとしても、気持ちいいから。
難しいけれど、理想として追求する価値はあると思います。
本日もマゾ花にお越し頂きましてありがとうございます。
少なくとも、相手を不愉快にさせない努力は、尊いものなんだと思う。
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今回のブログも意味深いもので
読者を得心させるものでごさいます
常にお相手に凛とした気持ちが行動にあらわれていれば(御御足ご奉仕前のご挨拶・失礼いたします とか)
より プレイは昇華されていくことでしょう
女王様だって 気持ち良く イキたいのですから
貴殿はもう その境地をわかっているはずなのにわかりかけてるふりをしてる
そんな、素敵な方です
いょ!
女王様殺し