共有なんかしたくない! 誰にも共有されたくもない(>_<)

エリック・クロール・セルフポートレイト
人によっては、そういうイメージもあるんじゃないかな、と思う。

たとえば、修学旅行で、憧れのあの子と一緒に撮った記念写真。
どさくさに紛れて他の同級生に撮影してもらったが、出来上がったプリントは絶対に秘密。
(デジカメがまだ発明されてないので、現像屋さんに出して2〜3日待つのであった)
学校生活の日常ではナカナカそういう行為(好きな女の子の写真を撮るなど)は、恥ずかしがり屋の僕にとってかなりハードルが高かった。

観光地でかろうじて撮影に成功したそのツー・ショットは、一緒に写っている彼女にも見せず、自分だけの宝物にする。
後日教室で「清水寺で撮ったあの写真、見せてヨ」と言われても、撮影したクラスメートの気持に配慮したようなフリをして、
「あ、アレね、上手く写ってなかったんだよ」などと見え透いた嘘をつく。
撮影したという記憶すらなかったものとして、断片的なイメージだけを心に残す。

昔、SMクラブでも、これと似たような感覚を抱いた( ← ん? 似てるのか?)
密室の、二人だけで浮世離れしたコトをやってるその姿を、本当は誰にも見られたくない。
その一方で、恥ずかしい気持を抑えつつ、目に見えるかたちで思い出に残しておきたかったりもする。

客観的に見れるものなら、己自身が観客としてそれを見てみたい矛盾。
でも、それを全世界の人々にお見せしたいと思えるのだろうか?
新宿2丁目の
Bar 星男 で開催中の「Yes! Mistress」展(6月13日まで)を見て、そんなことを感じた。
パーソナルな写メとも言える展示作品は、どれもこれもホッコリしていい感じではある。
だが見ているうちに、どこかイタタマレナイ気持ちにもなってしまうのは僕だけだろうか?
手のひらサイズのスマホで見るよりは、少なくとも数倍恥ずかしい(>_<)
まぁ、僕独特の感じ方であって、今の若い人たちにはわかってもらえないかもしれない。
この画期的な写真展の撮影者であり、キュレーターはなんと池袋ユリイカの鏡ゆみこママであった。

被写体の彼ら彼女らの、誇らしげとは言わないまでも、主張のないおおらかな表情には新鮮な感激がある。
そこにいる全員の了解と合意があり、撮影者への親しみと信頼性が心地よい視線の先には、未来の観客、つまりそれをシェアするであろう見知らぬギャラリーの目線を、被写体は意識しているかにも見える。
プライベートな密室でなく、ユリイカのようなSMサロンであれば、ある程度の公共性はあるのだろう。
一方で、やはりそれは公然の秘密でもであり、見ず知らずの門外漢がその個人情報に触れることには、妖しい胸騒ぎを感じてしまう。
共有されたとしても、共感されるとは限らないのだから。
「共感されたい!」というやみくもな願望には、スマホ世代の新たなるフェティシズムが見えるような気がする。
本日もマゾ花に来てくれて、ありがとうございます。
自分と片思いの女の子との、(空間的な)距離が離れている修学旅行の団体記念写真なら、インスタにアップ出来そう。
決死の思いで撮影したもらった秘密ツーショット写真は、自室でこっそり見るのがいい。
なんでもシェア全盛の時代、自分のアブノーマル性すらもアピールできるようになってしまったこのご時世に、
チャンチャラおかしいことを言ってる自分が、 これまた、恥ずかしい(>_<)

撮影 小宮山祐介氏 移動写真館 at Bar 星男 もし人が人を支配できるとしたら、それは権力でも恐怖でもなくて、快楽しかないんじゃないかなって思ってます。
性癖と劣情。受け入れてくれる人や場所がある楽しさ、会いたい人がいる幸せ。
フェティッシュとも耽美ともまた違う、カッコつけてらんない切実で滑稽で愛おしい私たちの秘密と日常。
BDSM/FEMDOMを知らない人にもエスエマーな人にも、自由で嬉々とした彼らの姿をみてもらえたらと思います。
吉田カオリ展「YES! MISTRESS」 フライヤーより
■ 12年目のカミングアウト・一期一会
■ マゾの社交場・ユリイカ
■ そうだったのか!「ユリイカ12周年記念冊子」
■ 知らないと損をする鏡ゆみこのツイート
■Go ゴー!池袋 丼本ゲット 
ユリイカ9周年祭関係記事
■ ユリイカ十周年に寄せて■ ユリイカ10周年・後夜祭の速報 ■ イカす女王様天国・イカ嬢 ■ SMサロンに初めて行ってみる
僕が初めてユリイカへお邪魔した時のエピソードです(>_<)■ 粋な会話をしたい この時はゆみこさん不在で、夕樹七瀬、みづき桃香と初めて会った。■ 魂を揺さぶる女王様騎馬戦ムービー ■ 卒業と自転車のサドル
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人によってどちらともとれると思います
何が言いたいかというと
ユリイカさんに一昨日行って来ました
ここでユリイカの名を見るとは
思っていなかったのでビックリすると共に
勝手に親近感を少々感じております
以前とある方に撮られた写真
未だ世の中には出回って無いようですが
冷静に考えて自分の周辺まで
流れてしまったら少ない友人が
更に少なくなりそうですが…
もし流出したとしてその方に何の感慨も
なかったとしても選んでもらえたと
自分は勝手に感慨深くなってしまうでしょう