先日閉幕した
「Yes ! Mistress」展の会場で、
モビール写真館というオプショナル企画がありました。
これは、昔ながらの写真館のように、その場で撮影してくれて、その場で高画質のプリントで頂けるというもので、iPhoneで撮影された展示内容のギャラリー内で、粋なサービスだなと思いました。
スゴ腕のカメラマンさんが、いい感じで被写体とコミュニケーションを取りながら写真を撮る。ポラロイドのような安っぽさはなく、本格的照明のセッティングもされたプチ・スタジオ状況です。
プロ仕様のデジカメで数テイク撮影し、PCの中でベストショットを絞り込み、依頼者(被写体)とも相談、確認して1枚千円でもらえちゃう。データでも頂けるのかと思いきや、その「紙焼き」のような写真1枚だけのお持ち帰り。
僕はゆみこさんに誘われるままに、その場にいた女王様たちと記念撮影してもらいました。
スマホや携帯でお気楽に撮られるのと違って、かなりのプレッシャーを感じた。
恥ずかしいというレベルを飛び越えて、なんか恍惚となってしまっていた。
そして、ふと、懐かしいような気持にも。
そうか、これが写真を撮る、ということなんだよな、っていう。
携帯デジカメの「はい、チーズ」(←もしかして死語?)とは別物だ(当たり前だけど)
この瞬間って、今だけなんだ。(当たり前だけど)

その場で手渡された写真に、僕は思わず唸ってしまった。
というより、女王様達の表情はもちろんなのですが、なんとも妙なことではありますが、自分の顔つきに感激が沸き上がってしまった。
自分で言うのも照れるんだけど(>_<)、
マゾマゾしいいつもの感じではなく、なんか爽やかというのか、好感度抜群のチョイマゾオヤヂに見えるよ〜?
ものすご〜く、不思議で、ホントに感動した。
こんな感じのドキドキ感が、ずいぶんと久しぶりの感覚だったような気がするのです。
新鮮で忘れ得ぬ思い出となりました。
それは、ノセうまの撮影者である小宮山祐介氏の人柄にもよるところが大きかったのだと思う。
写真が「せつない」ことの理由は、
「二度と再現することができない」
という一点じゃないでしょうか。
永遠に失われてしまった時間が写っている。
たしかに存在した場面なのに、それは今では跡形もなく、なくなってしまっているから。
しかも、ものすごく克明に、細部まで、その時の状態のまんまが写っている。
そのことが、見る人をせつなくさせる理由なのではないかなと思います。写真家・上田義彦さんが「写真にドキドキし続けている」の中で 昔、インスタントカメラの「写るんです」が発明・発売された時、この「せつなさ」は一気に拡散したように思う。出会いの一期一会を他者と共有する。
そしてデジカメの発明と普及で、その規模はもっと拡大し、逆に「せつなさ」は薄まった。
そのデジカメ機能が携帯電話について、スマホやアプリの共有メカニズムと結びつき、個人的であった「せつなさ」が同時多発的に膨張しているかのよう。
切ない気持になりたくて、いろいろな写真を見るというモチベーションだけは同じなのに、最近は「ドキドキ」しにくくなってきているような気がするのは、僕だけだろうか...
どうでもいいか、そんなコト■ Bar 星男 がSMバーになった日
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