
マゾ人口は絶対に増えている。
昭和の昔から、それなりの数は存在していたが、自己主張する(出来る)Mが増えたのが平成だったように思う。
とはいえ、SMバーなどで自分のことを「エム」とはカミングアウトできても、
「マゾヒスト」 とまでは、なかなか言えない気がするんだよなぁ...(>_<)
正直に言うと、僕はマゾではないのかもしれない、などと最近は思っていたりする。
というのはウソですが、いつか人間になりた〜い!とは思っている...
↑ 妖怪かい (。。)☆\バキ M男とマゾは(ほぼ)同義語かと思われますが、「マゾヒスト」は違う(たぶん)
このフルネームは、それなりにリスペクトされるべき尊称であって、古くは沼正三とか、
凛龍のヤプー0号氏の呼び名としてふさわしい。
僕みたいな中途半端でユルいMは、自虐的な意味を込めて「仮性マゾ」などと自称してます。
それはともかくとして、かつて「スナイパーEVE」に連載されていた「当世マゾヒスト列伝」が、書籍化され、なぜかこのタイミングで先日、新発売された。しかも新潮文庫で。
この雑誌を僕は創刊号(2001年7月)から熱心に愛読していたので、内容はよく覚えていて、今でも時々、押し入れからバックナンバーを取り出しては、ニヤニヤ
(ハアハア)しながら眺めたりもしている。(グラビアを)
奇しくも同誌は今年廃刊になってしまったのですが、おそらく定期刊行物としては初めての女王様専門誌で、M男性のみを読者に想定したその編集コンセプトは画期的でした。
これはそのオマージュ出版なのかもしれない。まだM男がクローズアップされることも稀だったご時世に、熱視線がそそがれた素晴らしいシリーズ企画だった。
これと似たような試みが、早川舞女王様により
「その時歴史が鞭打たれた」で、同じマゾヒストたちに取材されて別媒体で紙面化されているが、これよりさらに10年昔のハナシだ。
だから懐かしい気持ちで、遅すぎる書籍化を祝福しています。
そうはいっても連載当時は「とてもじゃないが、真似できない」ハイレベルな達人たちのルポルタージュを、かなりな距離間でもって、ちょっと歪な親近感を抱きながら読んでいたんだと思う。
今となっては、ここに登場している有名マゾヒストたちの何人かと実際にお会いする機会を得て、まっとうな親しみを(勝手に)感じてはいるのだけれど・・・
この本にも書かれているように、マゾヒストやM男性は、ひとくくりに出来ない多様性に溢れている。
しかし、けして同じではないけれども、言い尽くしがたい何かを、僕らは共有もしているのだと感じる。
それはマゾヒストに限らず、全ての人間に普遍的な宿命とも言えるであろう。
人間として(いや、時には女王様の奴隷として)思索と実践を積み重ねてきた変態たちの肖像。
そのトラウマと恥辱に満ちた黒歴史に、著者はあたたかいスポットライトを浴びせる。
連載時のインターバルを補うように、随所に挿入されている書き下ろしコラム記事が面白かった。
SMの文化や伝説が、本来は寡黙なマゾヒストたちの目線で語られる時、そこに新鮮な刺激や発見がないはずはない。
このタイプのコンテンツが、「新潮」というメジャーなブランドから、一般社会の健全な人々にも共有される意義は大きいと思う。
ちょっと変わった「特殊な趣味」が、多様性に寛容となった現代社会に価値あるインパクトを与えてくれる。
世界はマゾでできている。 確かに、マゾヒストはもはや、マイノリティではないのかもしれない。
しかし真の意味において、赤裸々に自己主張するマゾヒズムは希有であり、ユニークだ。
サブカルチャーからも脱皮しつつある男性マゾヒズムに、新たなスタンダードが掲示された渾身の力作。
*この出版を記念して、登場するマゾヒストたちと著者によるトークセッションが高円寺パンディットで11月17日に、開催されます。
トークイベント『世界はマゾでできている@高円寺パンディット』 こちらも緊急開催!なのかな?
世界はマゾでできている。 けだし、名言だと思います。
- 関連記事
-
久しぶりにコメントさせて頂きます!!
私もいつかは人間になりたいと思い、一旦は一般女性の結婚して子供まで作ったのですが、やはり無駄な努力でしたね←このことはこの本の中で松沢氏にハッキリ指摘されております!!苦笑
それにしましても、
>古くは沼正三とか、凛龍のヤプー0号氏の呼び名としてふさわしい。
おっ恐れ多くも沼正三氏と並んで私の名を書いて頂けたなんて!!
でも、正直、自己主張の強いマゾヒストとしては大変嬉しい限りです!!
ありがとうございました!!
‥٩ ;`ᴥ´و