
恋に恋する人がいる。結婚願望にも似たこの気持ちは、極端に言えば相手を選ばない。恋愛そのものに憧れ、恋人とのロマンティックな関係や時間に重点が置かれる。
逆に恋愛には普段ほとんど無関心だったのに「運命の人」と出会ったことにより恋におちることもある。僕の場合がそれで、若い頃は学問や仕事の方に熱中し、ナンパな行為はヒマ人のすることだと思っていた。(モテなかったというのもあるけど)
それがある日突然一目惚れした相手に夢中になってしまい、猛然とアタックした。(フラれましたけど)
これと同じようなことがSMにも言えるのではないか。SMはその行為や関係性にこそ本質があり、相手はそれを受け入れてくれるだけでよい。むしろ個人的に親しい間柄ではなく、その時だけの一過性の関係のほうが望ましい場合もある。
そして、ある特定の女性に一目惚れし、その人から愛されたいと願う以上に、奴隷や犬として扱われたいと思わずにはいられない正統純粋派マゾヒズム。
一人の女は、二人の男を同時に愛することはできないが、 一人の男と一匹の犬を同時に愛することはできる。ここに着目して犬になろうとするのが三者関係のマゾヒズム心裡なのだ。 (----- 沼正三『ある夢想家の手帖から』第97章/三者関係 ----)
もちろん、その相手のことを好きになり、恋愛感情とSM感情がかぶる場合もあるのだろうが、ざっくばらんに言って「SMに恋する気持ち」的な言い方が出来るのではないかと思う。SM的な二人の主従関係が、恋愛関係の一つの(イビツな)かたちとなる。
ありがちなのが、想い人にカミングアウトして奴隷になるという「毛皮を着たヴィーナス」的な世界だ。普通につき合っているノーマルな恋人関係において、「僕、実はマゾだったんだ。今夜は鞭で打ってくれないかな」とお願いしたとする。相手に断られて破局を迎えるか、彼女は彼を愛するが故にそのM性にお付き合いしてくれるのか。

「俺、実はマゾなんだよね。
それも真性の。
今夜は君のウンコ食べせてくれないかな」と言って、相手に「キモ~い」と思われても、願いを叶えてくれることがあるかもしれない。奴隷の身分に「降格」はしても「人間便器」としてご奉仕する関係性に「発展」する可能性だってある。これは賭けだ。
いずれにしても、つき合っている女性がいないことには始まらない。ナンパの手段として「僕を奴隷にして下さい」とイキナリ告白するのは一般的な恋愛でも逆効果だ。やはり「まずはお友達から」という関係を築いていき、努力して「彼氏」というポジションにまで到達してからカミングアウトしてフラれる。この辛い経験を繰り返さなければ、理想の女王様と出会うことは出来ないのだろう。
- 関連記事
-