
今年の目標は、地球温暖化を食い止めるため、地球環境以上に女王様へやさしい配慮のできる
ECOマゾになることです!
(エ
ゴでなく、
エコです)
それには
SMクラブで己の願望を満たすだけのプレイを控え、真の意味において女王様に奉仕し、マゾ欲の放熱量を減らさなければなりません!
具体的には、プラスチック製ストローの使用を止め、コンビニで買い物する時は自宅から紙か布のマイ袋を持参して、有料化となる前にプラ袋の使用を減らしていこう。小さなことでもやらないよりはよしとする。
しかしながら、精神的なマゾ熱の放出量だけは減らすことが難しく、年々上昇するばかり(>_<)
今年は還暦なのに、体力的な衰えとは別なところでこの熱量の増大は、地球温暖化に悪影響を与えていないかと心配になります。
SMのセッションでは酷い目にあったり、嫌な思いをしても、なぜかしばらくすると復活してしまうマゾ熱。
この放射の勢い、嗜好は本当に不思議だな、と思う。
もうずいぶんと
昔の話ですが、緊縛プレイ中に神経が麻痺して、電気治療やリハビリでなんとか回復したものの、緊縛はもう懲り懲りだと思った。もともとそれほど好きという分野ではなかったので、別にたいしたことないけれど、やはり、何というか、いい思い出ではない。
だから、
昔は見るだけで興奮していた女性緊縛写真も、無意識に避けるというか、ネットで「イイネ!」と思える写真を見かけても、ダウンロードしなくなっていた。
ただ、男性緊縛にも言えるけど、拘束されている姿の美というのは、あると思う。
自由を放棄するという「自由」な妄想には、ストイックな美学を感じる。
美しい「緊縛」がある。緊縛の美しさという様なものはない。
最近は全体的に緊縛をアートとして見る美意識の高まりもあり、倒錯者の悪趣味から、粋な大人の風流な遊びというステージに格上げされた。伊藤晴雨の時代からすると隔世の感がある。
緊縛事故への啓蒙活動も盛んなようだし、安全でちょっぴりエロティックに楽しめる緊縛プレイならばウエルカムな気持ちにまで吹っ切れた。
しかし、やっぱり実際にSMクラブでお願いする気には、まだなれない。
あの忌まわしい体験以来僕は、
エアー緊縛(フリーの両手を後ろでクロスに組んで、あたかも縛られているようなフリをする、フリー緊縛とも呼ばれる。呼ばネーか)だけで、けっこう萌えてしまえるようになった。これだけでも、精神的にはかなり回復したと言えると思う。
そして、これをやってみて気づいたことには、この方が、「身も心も貴女に服従し、崇拝していますよ」感が出るような気がする。
相手にそれが伝わるかどうかはともかくとして、崇拝している、支配されるという行為の抽象化が、僕にとってはたまたま顔面騎乗であり、人によっては鞭や緊縛などに昇華するだけで、各々の理想のマゾヒズムの中身は、本質的にそれほど変わらないのだと思う。
昨年
「マゾヒストたち」という一般向けの本が新潮文庫から出版されましたが、こういう人達のささやかな願いが、あるいは大きな野望でも、ほんわか満たされる世の中になれば、気球温暖化も防げるようになるはずだ(たぶん)
人間に、それも身近な人達に優しくすることが出来なくて、地球にやさしくなれるとは思えない。
明るい地球の未来のために、みんなで協力してSMを楽しみ、高度な文化としてのマゾヒズムを繁栄させて逝きたい。
■ 男性緊縛美
■ 屈辱の縄
■ エアー緊縛とは何ぞや?
■ SMのクオリア
■ 緊縛の文化史・日本人の知らない日本美
■ マスター "K"の素顔に触れて
- 関連記事
-