
久しぶりに母校を訪れた。20年ぶりぐらい。さすがにここまでご無沙汰すると胸がキュンとなる。
新学期が始まったばかりの活気の良さは、春の陽気とあいまって心地好い。
新歓コンパもたけなわ。様々なサークルがひしめく中で目を引いた
エスエムのもじ。
あ、文学か。よかったよ「SM研究会」でなくて。
でも、入ってみたいね。
今の若い人にとって、SM文学とは何なのだろう。そしてエスエムとは?
「毛皮を着たヴィーナス」とか、「痴人の愛」はもう古いんだろうな。
クラフト=エビングのおかげで、SMはとりあえず精神病理学にカテゴライズされてしまった。つまり科学的な文脈で話すのが初期設定だった。
文系/理系という分け方も今やナンセンスなわけだが、SMの切り口はもちろん複雑でいろいろある。文学的に研究するなら作品的にか思想的にか、美学や演劇的アプローチなども面白い。文系と理系を行ったり来たりシフトする人もいる。
なにも偉そうに学問的にやる必要もない。サブカルチャーでいいし、風俗でもいい。僕の場合、性的以外にも様々なコンプレックスを克服(?というほど偉そうなものではないけれど)しながら、志望大学に合格したとたん、学問への情熱は失せてしまった。そのかわりに芝居にのめり込み、ダンスや演劇に熱中するかたわら、「いつかSMクラブに行ってやろう!」という動機でバイトする。
しかし、リアルな人間関係で奴隷契約を結ぶという発想はなかった。そういう意味では健全?だったような、つまらなかったような・・・
マゾヒズム一つとっても、その世界は広く、深く、暗い。病気の場合もあるのだろう。
実際、病気とまで言わなくても、「少しヘン」だとして悩んでいる人は多い。僕も子どもの頃は悩んでいたし、「他の人と違う」というプレッシャーは相当なものだった。
いつしか、
「みんなちがって、みんないい」という境地に至り、マゾも変態もストレートなまなざしでみられるようになった。それはひとえに、大学生というモラトリアムな状態で、比較的のびのびと好き勝手な想像や知的探求が出来たからだったような気がする。そのような環境を与えてくれた両親と母校には感謝している。
大学で勉強した内容はほとんど忘れてしまったけれど、キャンパス環境で視野が広がったことは一番の収穫だったかもしれない。
大学に来て初めてマルクスの「資本論」を読んでみました~、みたいなノリで、SMというものに学問的に向き合える今の学生さんたちがうらやましい。幼少時のトラウマも劣等感もない健全な若い感性が、SMというものをどう捉えるのか興味がつきないところである。
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早稲田は受験したけど、結局縁はなかったな・・・
最近はどんなSM文学があるんでしょう。
谷崎、O嬢、マゾッホ、家畜人ヤプー、江戸川乱歩、他に何かありますかね。
赤い航路とか、漫画なら喜国雅彦とか?
30代のオッサンで文学には関心ないので、これ位しか思いつきません。
大学入りたての若者がSM文学に興味持つのって、やっぱり健全でない気が・・・
勉学、スポーツ、バイト、恋愛など、それでも満たされないならこっちの世界においで、と言いたいですね。