最近だと「この人!」ていう感じなのが、ナカナカ思い浮かばない (>_<)
今どき、森高千里(古い?)なんて言ってる人は前期高齢者ぐらいなものだろう。
実在するリアルな足でなくとも、妄想の住人なら自分のイマジネーションでも逝ける。
例えば、「瘋癲老人日記」の颯子の足や、やはり谷崎潤一郎の
「富美子の足」などは、足(脚)フェチを触発する描写として日本文学史に残るであろう。
「跪いて足をお舐め」という小説もあったけど、もし、本当にリアルで跪いて足を舐めるなら、誰の足がいいのか?という問いは、「鞭で打たれるなら誰がいいか?」や、「顔面騎乗されるなら誰?」という問いとならんで、我々の永遠のモティーフである。
少しぐらい性格に問題があっても、舐めるだけなら、美形のほうがいいのか?
たとえ美人でなくとも、長身・美脚でよしとする立場などもあろう。
人それぞれであるのは言うまでもない。
だが問答無用で思わずむしゃぶりつきたくなるような脚というのは、確かにあった。
このテレビコマーシャルは、そうした長年にわたる議論に終止符を打つ画期的な映像であった。

ロリータを思わせるような少女の脚もとに、跪く老紳士。
ここを若い男性でなく、老いぼれた高齢者でキャスティングしたところが素晴らしい。

ガーターのストラップに伸びた手は・・・
まるで皮を剥ぐかのように、ストッキングを脱がせる・・・

そして、眩しき御脚に接吻する。
当時話題となった、この意味不明なアメリカ屋靴店の、テレビ・コマーシャル。
文字どおりお茶の間でこれを見た僕は度肝を抜かれた。
これで、森高の時代は終わった・・・なと (>_<)
これからは、宮沢りえだよ。
この映像は今でもYouTubeなどで見られますが、
Twitterでも共有されていますのでご覧になりたい人はどうぞ。
下手なAVよりも、よっぽどエキサイティングなビジュアルは、日本全国に脚フェチ野郎を大量生産したのだった。
ハッピー・クリスマス!
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フランス映画『悪魔のようなあなた』に似たようなシーンがありましたね。召使いの中国人キムが女主人に「ストッキングをはかせてから口づける」で、順序は違いましたし、素肌ではなくストッキングの足でした。
どうでもいいですけど、私はひざまづいてストッキングはいた足の甲に口づけするのがたまらないです。
ストッキングが好きだということもありますが、素肌に直接ではないところに「対等ではない」感じが増します。靴を履いたままだともっと下に扱われている感じがします。それもいいのですが、靴を脱がせた足を男の手に委ね、さらには自らそっと靴を脱いでストッキングの足を差し出してもらえると、崇拝者である自分を受け入れてもらえたのと、それを受け容れる女性の気位の高さを思い幸せな気持ちになります。
ストッキングを脱がせて、あるいは脱いでもらって、素足を掌中におさめると、位置的な上下関係もさることながら、曲線と肌・爪の色と質感による造形的な美しさに恍惚となります。
それはもう宗教的な法悦に近いのかも知れません。
十代の頃谷崎文学に触れ意識化されたときは何とも言えない感覚でした。