
恥の多い生涯を送ってきました...
みうらじゅんさんが、春川ナミオの追悼画集に、少年時代の思い出として、家の近所ではなく、遠い街の本屋でSM雑誌をチラ見していたという、微笑ましいエピソードを寄稿されていましたけど、似たようなことは僕もやっておりました。みんなもそうだよね?
経済的にも精神的にも、この種のメディアを堂々と?購入できるようになったのは、やはり大学生になってからです。
ここでご紹介する「問題SM小説」は、1980年代の半ば、高田馬場の古本屋で手に入れた雑誌。
この頃すでに「奇譚クラブ」などが、そこそこいいお値段で出回ってましたが、これは比較的新しい雑誌で、安価でした。
「M専門誌」と表紙にあり、当時はまだM男向けの内容は貴重だったので、僕は衝動的に買い求めてしまいました。
この当時、昭和20年代の「奇譚クラブ」が千円前後で売られていたと思いますが、これは300円ぐらいでした。
内容的には、まぁまあで、満足しました。特に「問題」でも何でもなかったですが・・・
何もわかっちゃいなかった少年時代、SMとは「サスペンス&ミステリー」の略なのか、と思っていた時期もありましたが、早熟?だった僕は、チュー学生の頃には語義的には理解していました。
ヘッセの「車輪の下」やロマン・ロランの「ジャンクリストフ」などを読みつつ、サドやマゾッホ、D.H. ローレンスなどもいい気になって読んだつもりになっていた。何もわかっていなかったくせに・・・
ショー学生の頃から読んでいた古いSM雑誌から、沼正三を知り、沼の文章に刺激を受けて谷崎や三島、坂口安吾なども読みふける。そうしたきっかけから、僕の脳内に、ユニークな国内外の文献目録が出来上がっていったのでした。
江戸川乱歩などはショー学生の時に読んでましたが、「人間椅子」は高校に入ってから読みました。

SM雑誌が創刊ラッシュを迎えようとするこの時代、思春期夜明け前の僕は、純粋な心を持ちながらも、SMへの興味とヘンタイ願望でドロドロに汚れていました(今もだが)
そういう思い出も、最近は薄れつつあり、古いSM雑誌を泣く泣く処分したりしております。
問題のないSM小説も、残しておくには、やや問題があるかもしれません・・・
こうした闇の文化は、なかなか公式に保存されにくく、残しておくべき貴重な資料だとは思います。
ですから表紙だけでもスキャンして、とりとめのない思い出だけでも後世に伝えてみたいと思いましたが、やめにしておきます(>_<)
恥ずかしい記憶とともに、心の闇の奥に、葬り去るのが人の道なのかもしれませぬ。
■ 奇譚クラブのマゾフォト
■ 女王様の地位向上の歴史

昔の女王様はなぜマスクで顔を隠していたのか?
■ マゾフォトのカメラ目線
■ SMスナイパーの廃刊

SMメディア変遷の歴史
■ マゾ写メ 
S女性にM男の恥ずかしい姿を撮影されちゃうマゾ写メ (>_<)
メディアに見る女王様の地位向上の歴史

乳房は見せても、顔はみせない乙女心...
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