
幼い頃から、父母や祖父母に繰り返し聞かされていた文言に、こんなのがある。
「身体髪膚これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始めなり」 (しんたいはっぷ これをふぼにうく あえてきしょうせざるは こうのはじめなり) 今風に意訳すると「体を大切にして、親に心配をかけないのが子どもの第一の務め」となるであろうか。
僕が、タトゥーやピアスにあまり関心がないのは、これの影響が大きいと思う。
当時すでに古臭い響きもあったコンセプトで、今はもう絶滅危惧種的な思想、表現なのかもしれない。
この歳になると、そろそろ、親のおくりびとになる覚悟を決めなければならないのを思う時、親孝行とはいったいなんだったのだろう? とふと思う。
SMクラブで女王様に鞭打たれ、親から頂いた大切な身体に傷をつけるとは、なんという親不孝であろうか! とは、若い頃には思いもしなかった(今もだが)
しかし、たとえ身体に傷はつかなくとも、好き好んで醜悪な姿を晒し、精神的な恥辱を心の刺激として傷つく感性に甘んじるのも、ある意味では親不孝と言えるのではなかろうか・・・?
もともと、人としては許されない背徳の快楽がSMには潜んでおり、それこそが魅力の本質だということも自覚してはいるのに・・・(>_<)
罪悪感を感じているだけ、まだマシだと思うことにしている。
自分でもジジくさいこと書いてるなあと思うが、気がつけばもう爺いなんだよ(>_<)
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背徳的な悦楽などと言ってみても、幼い頃から染みついたものを覆すことはありません。
両親を送った今でも、こんなことをやっていてあの世で親に顔向けできるのだろうかと思うことがあります。
あの世で両親に再会したときに、これだけ頑張ったんだよと言えるようにという気持ちが支えになってもいます。
「孝」というのは親のためばかりではないんですね。
自分自身に言い訳をしているという気持ちはなくなったわけではありませんが、いろいろと大事なものを失った今、「こんなこと」でもそれで精神の安定を保っていられるのであればと思うようになりました。