
僕は本当にこの「誓いの儀式」みたいなのが大好きなのです。
もしかしたら、顔面騎乗より好きかも(>_<)
余談ですが、僕は詩も好きで、詩の朗読の快感に近いものがあると思います。
「卑しきワタクシ
めごときのために、ご降臨下されまして、誠に光栄に存じ上げます・・・」
とかナントカ、ちょっと文語調の古くさい言葉づかいで、崇拝させて頂くというのも、ダサいっていうか、今の若い人たちには、意味不明で、理解不能でしょうね。
顔面騎乗のようにわかりやすいとは言えず、説明も難しい。
具体的で、直接的な快楽ではないのです。
わかってもらえるとも思えないですし、これほどシラケそうな、三文芝居の大根役者演技に
「性的興奮」があるとは、僕もあまり意識はしていませんでした。
自分が口にすることで内省的に認識することが出来て、ある意味でリアリズムが増す。
さらに、女王様の口からも、カン高い声で上から目線のご命令を耳にすると、いやでもスイッチが入ってしまう。
呪術というのでしょうか、フェティシズムも関係しているかもしれませんが、人間の根源的な本質に触れる部分があるような気がします。だからこそ感動があり、興奮がある。
黒でも赤でもいいから、ハイヒールを履いた女王様の前で裸になるというシナリオには、「奴隷が土下座して誓いの言葉を述べる」というト書きが書かれている。
言葉の起源よりもはるか昔に、舞踊があり、歌や詩、音楽があり、絵画があったかもしれないように、身体を使って何かを表現して伝えようとする行為が、性的リビドーと紐づいているのです。
「ご調教お願いします」っていう表現は、SMクラブに行けば必ずといっていいほど使うキーフレーズですが、普段は絶対に言わない、言えないでしょう。
それを舞台の上で、女王様という観客の前で大きな声で叫ぶカタルシスは、通常の演劇活動をされている役者経験のある方なら、理解して頂けるのではないでしょうか。
僕は若い頃に演劇を少しだけやってまして、本番の舞台上でお芝居をした経験が少しあるのですが、あの快楽は性行為に匹敵するものがあると思っています。
この辺りのコダワリになってくると、「きちんとした」SMクラブでも、対応が難しいかもしれません。
昔、若い女王様には「あんたの歌舞伎ごっこにはつき合ってられネーから!」と一笑されたこともありますが、まさにSMプレイは歌舞伎ごっこに近いものがあります。
SMは無形文化芸術遺産です! 大見得を切る自分だけの独り言のようでも、目の前にそれを聞いてくれる女王様がいる。
孤独な詩の朗読ではない、対話の可能性が見える喜び。
自分自身のモノローグから、女王様とのダイアローグへ・・・
拒絶され、無視されても、リアルでインタラクティブな体験と共感の場がある。
そこで、見えない縁、たとえ無視されていても、なんらかの絆を体感する。
まさにSMは、わかりにくいけれど、確かに芸術的な体験の場でもあるとも思うのです。
緊縛などもエロティック・アートと解釈されますが、縄師のように専門的な知見や才能などなくても、平凡でごくフツーのヘンタイでも、クリエイティブでアーティスティックに戯れる巧みの世界に触れることができるのです。
感じ方は人それぞれで、これも一つのダイバーシティ。
感激したことを、どのように感動したのかを、そのかそけき思い出を、大切にしまっておきたいです。
記憶しておこうと思う。僕の身に起きた出来事を。
僕はマゾかもしれないし、違うかもしれないけど、
近いところにいるのは、確かだ。■ 記憶しておこうと思う
■ 本当の自分になれる時
■ 黒いハイヒールの眩惑
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ちょっと本来の意図とは違うかもしれませんが、相手していただく女王様にも当てはまりますね。
以前若い女王様が入られたのですが、落ち着いていて、演技がうまく頭の回転が速い方という印象を持ちました。そこで、Mな教師(私)が、女子学生にS心を植え付け女王様に仕立て上げる、というプレイをお願いしました。
緊縛などの道具はなく鞭もまあご愛敬でしたが、2時間足らずの間に、うぶな女子学生から女王様に開花するまでを見事に演じていただき、記憶に残るすばらしいプレイでした...またやってみたい笑