
何度でも書かせて頂きますが、「ご調教お願いします」の儀式が大好きです!
これをやっとかないと、モードが切り替わらない、というのもありますけど、確かに「呪術」的というのか、祝祭というべきか、精神的、もしくは宗教的な意味合いも大きいと思います。
よくある台詞を自分なりにカスタマイズして、台本に書いた通りの文言で、心を込めて、はっきりと、大きな声で言うのです。普段は言えない、恥ずかしくて声に出せない日本語。
「親愛なる女王様、この愚かな私めを奴隷にして頂きましてありがとうございます」
とかなんとか、これを呪術と言わずして、何と言うのでしょう。
ただのお馬鹿? そうかもしれません。
いずれにしても、三文芝居で大根役者がアホな演技をすることに変わりありません。
でも、そこがいいんですわ。なんともいえない哀愁を感じます。
昔は緊張して上手く言えなかったけれど、だんだんとこの儀式、呪術的な意味の重傷性を認識して、大切に、厳かに行えるようになってきました。
最近からトップ画面に使用している上の写真は、その儀式が上手くいったところで、特にお気に入りの場面となっています。
土下座して、平伏してご挨拶がなんとか上手くいった後に女王様が、
「よく出来たわね。お顔をもっとよく見せて」 と、アゴの下を足の先で持ち上げたところです。
そして、僕を見つめてニッコリと微笑んでくれました。
たったそれだけのことなのに、僕は感動して、胸がいっぱいになってしまいました。
自分でもおめでたいヤツだと思う。
でも、この時こそが
「本当の自分」なのだと、確信できた。
女王様に喜んでもらえる一瞬というのは、セッションの間で何度か体験することがありますが、まだセッションは始まってもいないのに、こうした、まったりした雰囲気でしっかりと手応えを感じることができて、大満足です。
もちろん、この後で あんなコトや、こんなコトもやらされたり、やって頂いたりもしたのですが、そういうエロティックなファンタジーの実現よりも、彼女の笑顔を、落ち着いて拝むことができたことが、本当に嬉しかった。
まだ、顔面騎乗もされていなければ、どこも舐めていないのにも関わらず、ぐっと距離感が近くなったことを確認できたことが、最高の喜びに感じられました。
お金を払って、お客の立場で三文芝居につき合って頂いているだけなのに、そこに、わずかな絆、関係性を感じることが出来たような気がします。
性的な快楽とはまた別の、本当の自分の真実と出合うことは、人生で貴重な体験だと思われます。
■ 記憶しておこうと思う
■ 本当の自分になれる時
■ 黒いハイヒールの眩惑
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私のパターンは「○○女王様、本日はお会いできて光栄でございます。△△(自分の呼び名)は、ご覧の通り卑しいマゾではございますが、○○女王様に喜んでいただけるよう頑張りますので、どうぞ○○女王様のお情けをお恵みくださいませ」です。
結構、練習しないとテンパって真っ白になっちゃうんですよね(笑)
挨拶前はざっくばらんと会話して、要望もセーフワードも決めるなど、ホンワカムード。挨拶したと同時に変貌する女王様と人間で無くなった自分の立場のギャップが堪らない。この瞬間って、マゾしかわからない喜びですね(笑)