行きつけの本屋さんで、いつもなら絶対に横に並んでディスプレイされることのなかったこの2冊が、ナゼか仲良く平積みされていた。

SMスナイパー最終号 月刊プレイボーイ最終号
性的にノーマルな人は「プレイボーイ」を、変態は「スナイパー」を買う。
書店でのカテゴリーは異なるべきで、同じアダルト系でも本来場所は別であるべきだろう。
(スナイパーは18禁だし)
この2冊は、今発売中のこれをもって休刊となる。
カリスマ店員のさりげない陳列が功を奏したのか、僕は滅多に買うことのなかったこの2冊を衝動買いした。
休刊とは事実上の廃刊。
僕は特に熱心な愛読者というわけではなかったけれど、長年に渡って目に親しんできた雑誌がなくなってしまうのははやり寂しい。
「月刊プレイボーイ」は僕が中学生の時(昭和50年)に、「S&Mスナイパー」は昭和54年の高校生の頃に創刊された。「プレイボーイ」は立ち読み専門だったが、「S&Mスナイパー」はよく買っていた。年齢的にもどうにか買える時期と重なっていたこともあり、新しいSM雑誌ということで注目していた。
だけど当時のSM雑誌のほとんどがそうであったように、やはり女性緊縛ものが中心で男性マゾヒズムを満足させるグラビアや記事はほとんど見当たらない。先行していた「SMフロンティア」(三和出版)や「SMコレクター」(サン出版)などの方が、少ないとはいえM男性向けコンテンツに限ってはよいものがあったように思う。
当時主流(?)だったSM雑誌の表紙。
↓

いかにも ってな感じのおどろおどろしさが各誌とも共通していた。
時代を先取りしたスタイリッシュなSM雑誌 しかし「S&Mスナイパー」は目立っていた。それまでの
「パンチのきいたSM雑誌」よりは強烈なアッパーカウンターを喰らわしてくれた。旧態依然とした従来路線とは明らかに異なるコンセプトが目を引き、ニュータイプの読者を開拓していったのではなかろうか。ヘンタイだけではない、ノーマルな人の魂の暗部にも、この雑誌は命中していたと思う。
とにかくビジュアル的に「おしゃれ」なイメージで、80年代のファッションとポップ・カルチャーの流れとも巧みにリンクしていた。表紙のイラストを当時パルコのポスターデザインを手がけ、ノリにのっていた
大西洋介が描いている。それこそ「プレイボーイ」と一緒に買っても恥ずかしくないルックスだ。

内容面でもSM雑誌とは思えないほどバラエティに富んでいた。
内山亜紀や
平口広美に、そしてなんと
高橋葉介のコミック作品が掲載されたり、小説の挿絵には
岡崎京子や
桜沢エリカなども登場する。緊縛写真は荒木経惟による撮影。僕が大学生の頃には中田耕治の「鞭打ちの研究」が連載されていた。(*後に
「鞭打ちの文化史」(青弓社)として単行本化される)
従来のSM雑誌にはなかった斬新さをウリにはしていても、レトロな味わいは残していた。目次裏に描かれていた
北原史香のイラストなどは往年の「奇譚クラブ」の雰囲気を伝える。そうした保守層向けに、相変わらず
団鬼六や
千草忠夫といった伝統的なラインナップもきちんと継承されていた。
文学的な構成が際立つ以上に、アカデミックな内容に加えて芸術や文化、アートなど、幅広い切り口でSMやフェティッシュ、アブノーマルな情報を充実させる編集であったと思う。
「S&Mスナイパー」が部数を伸ばしていく80年代から90年代にかけては、アダルトビデオや性風俗など、SMを取り巻く環境がダイナミックに変化していく時代とも重なる。SMクラブがビジネスとして成立するようになり、SM誌への広告出稿も増えていった。一般誌と同じように広告収入でやっていけるようになっても、スナイパーは手を抜かない。常に新しい企画、アグレッシヴな狙いを魂の暗部に向けていた。
創刊時から2~3年はほとんど見られなかったM男向け企画が1984年頃からついにシリーズ化する。それまでにも他紙でごくたまに「S女M男」もの企画フォトは見られたのだが、どこかウソくさい安っぽさにうんざりしていた。中野クィーンに在籍する現役女王様を起用した「スナイパー・クイーン」は衝撃的だった。S女性が目線なしで掲載されたのが驚きだったし、「この女王様にはお金を払えば調教してもらえるんだ!」という文句なしのリアリティ。下半身より先に鳥肌が立ったのを覚えている。
1984年9月号

S女性のモデルによる「顔出し」はまだ新鮮な時代であった
女王様グラビア自体がまだ珍しい時代。現役のリアル女王様ならでの迫力!
中野クイーンは1981年に開店。
この1984年9月号には
「3周年記念パーティー」の様子が記事になっていた。
なろうと思えば、僕も奴隷になれる それまで妄想でしかなかったSMプレイが、現実味を帯びてきた時代。
70年代までのSM雑誌は、あくまでも幻想的な領域を扱っていた。マニアや夫婦が変態行為はやれても、一般の読者にとっては実際にSMプレイをすることなど、夢のまた夢だったのだ。それは実話雑誌としてスタートしたはずの「奇譚クラブ」にもいえることで、「家畜人ヤプー」の」ような世界はあまりにも現実離れしすぎていた。
「S&Mスナイパー」は、そのような仮想現実だったSMの世界にある種のリアリティーを初めてもたらした画期的な媒体だったと思う。アラーキの生活臭溢れる緊縛写真もそうだが、SM業界の生々しいルポルタージュや現場情報はいつも輝いていた。一部のマニアにしか知られていなかった美芸会の立花冷子も僕はこの雑誌で初めて知った。
SMを真正面からジャーナリスティックな視点で、クールに扱っていた点が新鮮だった。
今なら「当然じゃないか」と言う若い方も多いかもしれない。
フェティッシュ・バーでなくても気軽にSMの話が出来る昨今。
だが「S&Mスナイパー」が創刊された30年前は、ポケットサイズのSM雑誌をウシロメタイ気持ちでコッソリ読む時代。SMセレクトもSMファンも、置いている書店は少なかったし、うまく見つけても買う勇気が必要。
「SMスナイパー」だけがどこの書店にも必ずあった。(そしてたいてい翌月まで売れ残っていたけれど... ^^)

貫禄の300号記念特別号が2004年8月に出た。アダルトメディアでは異彩を放ち、安定していたかに思えたが部数は落ち込んでいたらしい。この2年後の2006年から中綴じから平綴じへのリニューアルを行った。この頃から休刊の噂がささやかれるようになる。見かけはリッチになったが苦境に立たされていたのだろうか。
昨年からついに大西洋介のイラストが表紙に使われなくなり、今年も大幅な誌面刷新が行われ、天野哲夫氏の連載も終了する。DVDが付いて分厚くなったがページ数は減り、誌面の質は低下していった。リニューアルを繰り返すということはそれだけ苦しかったのだろう。SMクラブの摘発や閉店が相次ぎ、頼みの綱だった広告収入の激減がだめ押しとなったのか。ネット全盛の今、商業誌としての使命は終わっていたのかもしれない。
この30年で価値観とメディアの多様化がタブーをなくし、魂の暗部はかなり明るくなってしまった。
21世紀の今、すでにSMは妄想ではなく現実に体験するものになっている。しかし「S&Mスナイパー」が真に狙撃に値する魂の暗部は、現代に生きる我々の心にはまだ残されていると信じたい。

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