小柴垣草子 春画のモチーフは男女の営みで、それ自体はアブノーマルではない。挿入の決定的瞬間が静止画として描かれることも多い。
だから日本の春画から顔面騎乗や脚舐めなどのイメージを探すのは困難だ。ほとんどないといっていいかもしれない。
そう思っていたら、
平安時代の脚フェチ画像 を見つけた。
しかもこの絵は実話を素材にしている。
伊勢神宮の巫女(済子内親王)が、警護の任にあった美男武士(平致光)を脚で誘惑し、密通したという事件があった。
皇室にとってこの大スキャンダルは歴史的に抹消されたが、風聞によって後々まで長く伝えられ、鎌倉時代の「十訓抄」にも記された。この事件を描く絵巻が製作されたことも伝わっている。
オリジナルの本絵巻は平安時代末期に描かれたことが分かっているが残っておらず、現在に伝わるのは江戸時代中期の模写である。
こうした絵巻や春画の製作は権力者の特権であり、当時の後白河法皇が発注したとされている。皇室の不祥事を題材にエロティック・アートを描かせる神経はなかなか凄い。一般庶民の感覚では想像もできないが、例えば雅子様と護衛SPの不倫があったとして、それをイメージさせる絵画を政府高官が名のある日本画家に依頼するようなものであろうか。そこまでいかなくても「週間現代」がそんな絵をイラストレイターに描かせるようなことが今の世の中において可能だろうか?
いずれにしても当時のエロティシズムを伝える資料としてこの絵は貴重なものだと思う。陰部の描写もリアルであり、このようなタッチは浮世絵以前の肉筆春画に共通するイメージだ。
女性が男を「足(脚)で誘惑する」という発想や、足へのフェティシズムの起源が平安時代からあったというのは驚きであると同時に、足フェチにとっては嬉しい歴史的な事実ではないだろうか。千年以上も昔にも、女性の足を舐めたい男がいたのである。
男が女性の身体のどの部分に萌えるのか、端的に言うとどこを舐めたいと思うかで、その男のフェチ度や変態性欲のベクトルが明らかになる。
お尻を舐めたいかクンニをしたいか。
足のつま先か、太ももか、
魅惑のデルタ地帯なのか。
いったいどうして「その場所」でならないといけないのか?
これは文化人類学的に最大の謎である。
どうでもいいか、そんなコト。
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この記事の本文で、
>>伊勢神宮の巫女(済子内親王)が、警護の任にあった美男武士(平致光)を脚で誘惑し、密通したという事件があった。
と仰られていますが、私の未熟な検索能力では「"脚"で誘惑した」というような情報は見つけられませんでした。
何処でそのような情報を得たのか、ご教授いただけますと幸いです。