
北川プロの作品で、常に売り上げ数が高いのが「黄金調教」ものだそうです。
買った人全員がやっているとかどうかはともかく、その数字の裏付けには戦慄を覚える。ずいぶん昔から北川プロの作品を知っていますが、黄金ものは見て見ぬフリをしてきました。
人間便器のエントリーでは各方面からメールやコメントを頂きましてありがとうございます。皆さんそれぞれに、ユニークな視点で興味深かったのですが、共通して言えると思うのは、変に構えることなく、ポジティブな見方をしていらっしゃるということでした。これがすごく新鮮で、嬉しい驚きでしたね。 それでも、シークレットメッセージや鍵コメントが多かったのですが。
僕自身は本当に正直に言うと「考えるだけでもおぞましい」世界だと、思っていました。「食わず嫌い」ではありません。こんな話題持ち出すだけで軽蔑されたりするんじゃなかろうか。だから間接的とはいえ、ある種の対話が成立することにもちょっと驚いた。
「そんな話聞きたくもないね」という(ホントは好きかもしれなくとも)ネガティブなリアクションもあるだろうかなぁと。顔面騎乗や鞭打ちなどに比べると、共有しにくいトピックだと思う。
恐る恐るビデオや画像を見ることはあっても、積極的に関わりあいになれるような世界ではない。あくまでもファンタジーの世界。だけど、深層心理まではわからないし、調教されたら考えが変ることもあるのかもしれない。
それにしてもやっぱり「変りたくない」という気持ちがどこかにまだある。
今のところ幸いにしてそういう出会いがないからいいけど、心の底から崇拝できそうな女性から、そんな機会に恵まれたとしたらどうなるかわからないから怖い。
「それだけは勘弁して欲しい・・・」と、心のブレーキが働いても、その場の勢いでアクセルを踏み込む可能性はある。やはり精神的にも弱いんでしょうね。男らしく毅然とした態度で臨み(望み)たいものです。
岩清水君のように、「君のためなら飲める(食べる)」と、言えればいいんだけれど。
何人かの経験者ともお話したことがありますが、皆さんとてもあっけらかんとしている。一線を越えたという感じがしない。一見すると別に普通の人だけど、
そうか、この人やってるんだ・・・ やはりどこかで、ちょっと引いた目線では見てしまう自分。
その一方で、「うらやましい・・・」と感じているのかもしれない。
少し以前の自分なら絶対にあり得ない世界なのだが、身近に経験者がいるとなると、そうも言ってられなくなる。なんとなくリスペクトしてしまっているのである。
これがまた、恐ろしい事実である。
極論すれば、実際に鞭で打たれることだって、一線を越えた行為と言えなくもないように思うのですが、既にそれは経験のある今の僕にとっては、別にどってことないじゃんと思っているわけで、同じようなことが将来スカトロや人間便器にも言えるのかもしれない。
ちなみに人間便器には聖水と黄金の二つのタブがあるわけですが、今の段階で僕はあえてどちらも区別していません。
さらにちなみに「スカトロ」と「人間便器願望」もまた厳密には違いますよね。これもゲイとニューハーフを混同してるようなもので、門外漢にとっては同じようなものだったりする。出来そうもないとは思っていても、やってみたいかも~とどこかで思っている別の自分がいる。黄金や聖水の苦手意識とは裏腹に「人間便器」というコンセプトに惹かれる矛盾をどう説明していいのかわかりません。
嫌なものはイヤ。いいものはいい。
結局そうとしか言いようがないですね。
それにしても、いつかはやってしまうのだろうか。あるいは無理矢理やらせられる日が来るのか・・・

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