これ面白いから読んでごらんよ、と気楽にはお薦めできない本がある。
そして、よくわかっていない人に読まれても困る。
「家畜人ヤプー」はそのような作品だ。
知り合いの女性が「M男性の心理を理解できるかもしれない」と今読んでいるとのことで、そういう動機はたいへん結構なことだと思う。
この作品を読むためには、マゾヒズムへの好意的な態度がその作品解釈の前提とはなるのかもしれないが、何でもそうだけれど余計な先入観なしに読むのがいいと思う。特殊な内容と言ってしまえば、全ての作品が独自の内容を持っているのであり、ある一つのオリジナリティとしてのヤプーの特殊性をことさら意識することなく、まっさらな状態で読まれるべきであろう。
と言いつつもやはり、同じようなマゾヒズムをテーマとする
「毛皮を着たヴィーナス」や
「痴人の愛」のような作品とは異なり、かなりマニアックな内容ではあるので、あまり一般受けするとも思えない。近年、漫画化や舞台化もされたし、映画化も企画されていたことがあったが(その後どうなっている?)話題性のみがいつも先行する。
昨年、作者とされる人物が亡くなった時に、そのスキャンダラスな経緯が紹介されても、内容的な面にまで触れられることはなかった。
作品としての価値や素晴らしさが世の中にきちんと理解されているとは(僕には)思えない。俗に変態マゾ小説とも言われるように、マゾヒストによる、マゾヒストのために書かれたものであることだけが強調される。それはそのとおりではあるかもしれないにせよ。
書かれた時代の社会的状況やその後の経緯も含めてすでに古典的・伝説的な作品であり、その背景知識なしに評価するのが難しいのも事実だ。
*これらの経緯については、女性上位時代の馬仙人さんのルポルタージュが参考になります。 だからこそ、新しい時代の若い世代の読者には、素直な気持ちで読んで頂きたいと願う。
僕が「奇譚クラブ」で初めて読んだ時、これは凄い作品だと確信はしたけれど、絶対に単行本化されないと思った。この雑誌に掲載されていた作品はどれもそうだったのだが、全てが貴重な文献資料として輝いていた。だからこそ、古びて薄汚れた古本であるにもかかわらず、捨てられずに宝物として保管していた。
「ヤプー」は、禁断の書であり、お宝であった。
今は文庫で読めるほどポピュラーになっているのが感無量。
国宝級の作品と言ってもいいぐらいだが、現代でもやはり異端の文学としての位置づけにはある。それなりの受け入れ態勢を整えてから読まれるべきなのかもしれない。初心者はとりあえずてはじめに、もしまだお読みになられていないならば「痴人の愛」とか「毛皮を着たヴィーナス」あたりを読んでみて、精神的なウオームアップをしておいた方がよろしいかもしれない。
色メガネをはずして、心の目で読んでほしい作品である。
【関連エントリー】
■ 演劇「沼正三/家畜人ヤプー」
■ 沼正三 神の酒を手にいれる方法(奇譚クラブ)
【参考サイト】
「家畜人ヤプー」への誘い(筑波文学の会) 天野哲夫、沼正三、「家畜人ヤプー」、そして、三島由紀夫『家畜人ヤプー』映画化について

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